薔薇

2006年10月29日 (日)

シンデレラと秋の憂鬱。

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シンデレラ(min.)。
接写しているから大きさはよくわからないかもそれないが、
親指の爪ほどの小さな花を咲かせるミニバラ。
かすかな香りを漂わせる。
この花が咲くと「ああ、咲いた」とささやき声で独り言をいう。
そのくらいささやかな、可憐な花を咲かせるバラ。
小さな鉢に小さくこんもりと旺盛に育つ。

今はやることがないので、
語学の勉強。
洋書を読み始める。
ちょうど今日用があって神保町に行ったので、
ずーーーーっと探していたペーパーバックを古本で安価で入手。
ヤフオク相場の半額!
ペーパーバックって装丁があんなに粗雑で安手なのに、
国内で買うととても高い。
だからなるだけ古本を探すのだが、洋書の古本なんてどこにも売っていない。
それがある神保町古書店街はやはり世界一だけのことはある。

本ていいですね。

そんな秋の日々。

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2006年10月27日 (金)

elle

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秋のバラはなかなか咲かない。

つぼみが開き始めてから3日目。果実のような香りを漂わせながらゆっくりと花弁を開いてゆく。

バラという花にまつわる僕たちの比喩的想像力が、この緩慢な変容をエロティックにとらえさせる。

「エル」というバラ。何色とも言いがたい微妙なグラデーションと、その香りの良さに引かれて入手した。好きなバラベスト3に入るお気に入り。

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2006年10月26日 (木)

Genuine

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マツリカのつぼみ。

マツリカはジャスミンティの原料となる、いわば「本物のジャスミン」。

まさにジャスミンの香りがする。つぼみの白さがとてもよい。

濁りがない澄み切った白色。純白とはこの事だ。

年中ぽちぽちと咲き続けて、ベランダに香りを漂わせる。

なんだか最近香りに鈍感になってきた気がする。香りというか感覚が全般的に鈍化している。

たばこのやめ時かもしれない。

とおもったのはおそらく1000回目だ。

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2006年10月15日 (日)

最近のバラ。

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ドフトヴォルケ。
今はもうない。去年の写真。
春にシーズンを迎えて以来、我が家のベランダは様変わりした。

いろんなことが忙しくて、消毒をすっかりさぼって水やりだけしていたら、いろんな種類のバラが病気で次々と枯れてしまった。虫にやられてしまったものもある。

なかでも残念なのは、お気に入りの二つのバラが枯れてしまったことである。

その一つがこの「ドフトヴォルケ」。香りがよく花もゴージャスで、アプリコットがかった赤い花が咲くと、しばしベランダに出て眺めたものだ。

きちんとケアをしないとバラは枯れるって本当なのです。。

ちなみにもう一つのお気に入りは「エヴリン」。香りが一番良かった。

これもいなくなってしまいました。

さっきバラのページを検索していたら、またバラ熱が少し上がってきてしまいました。エヴリンとドフトヴォルケ、買い直そうかなぁ。

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2006年5月22日 (月)

mimi eden

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ミミエデン(min)。

見た目の美しさに惹かれて入手した薔薇。

確かに醜を排除した憧憬的な美しさがある。

花持ちもよくて、撮影日で一週間が経過している。

でも香りが全くない。

咲いても、ああ咲いたな、くらいにしか思わない。

やはり香りは(僕にとっては)重要な要素で、視覚だけでは存在感が足りたい気がするのだ。匂いがあってこそ、僕に触れるように訴えかけてくるものだと改めて思う。

でもまあ、こうやって写真に撮るとやはりかわいらしい花だ。

花首のところにパウダーがかかっているように見えるのは、
「うどんこ病」というカビの一種。
ミミエデンは罹病しやすいと書いてあったが、はたしてその通りだ。
抗生物質をもっているが、まだ使っていない。
ミミエデンとネージュパルファムがものすごい勢いで罹病している。

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2006年5月17日 (水)

薔薇の始まり

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ラ・フランス。
甘いバラの香り。
今年もバラの季節がきた。
春が寒かったせいか、小さめの花が多い気がする。

ベランダに通じる窓を開けると香りが部屋に漂ってくる。

ただ、去年よりも香りが薄い気がしないでもない。

気候のせいか、それとも肥料をあげすぎたか?

そんなこんなで、一ヶ月くらいは、まずは最初の花の季節だ。

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2006年4月 7日 (金)

ヒヤシンス

今年は春がなかなかやってこないと思うのは気のせいだろうか。
桜が咲く時期はこんなに寒かったのだろうかと思う。

今日は久しぶりに花の話題。

寒暖の差が激しい日がこうも続くと、
どうも植物も大変らしく、
せっかく吹き出た芽が枯れてしまったり、
少し成長した芽がとれてしまったりする。
2株、芽が枯れて、どうやら株自体も枯れてしまったかもしれないものもある。

さっき、服のホコリを払おうとしてベランダでぱんぱんとたたいたら、
バラにあたり新芽がとれてしまった。。。
これは人為的なものだ。

そんななか、一足早く花を咲かせてくれたのが、ヒヤシンスとチューリップ。
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歌川広重の「亀戸梅屋舗」をモチーフにしたつもりだが、
あくまでつもりである。

ヒヤシンスを植えてみたのは、もちろん香りがよいと聴いていたからである。
甘さがない、シンプルでちょっとスパイシーな香りを割とはっきりと放っている。
ベランダに出ると、ほのかに香りが漂っている、そんな感じだ。

これがバラだと、窓を開けただけで部屋の仲間でバラの香りがするのだから、バラがいかに強烈な香りを放つかを実感する。

今年はバラ以外もたくさん植えてある。
すべて香りがするものだ。

暖かくならないだろうか。

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2005年12月10日 (土)

ななこばら2

昨日のななこばらを夜にみたら、
こんな風になっていた。

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夜になると花びらが閉じて、
朝になるとまた開く花がある、とは知っていたけど、
バラもそうだとは知らなかった。

おお、その現象だ!と内的に喜ぶ。

なんと言う現象なんだろう?

今朝起きても花は閉じたままなので、
窓辺において太陽に当てたら、
開いてくれた。

これまで夜にこの花をみることがなかったので
気づかなかったんだな。

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2005年12月 9日 (金)

ななこばら

一ヶ月以上もつぼみのままだった「ななこばら」にしびれをきらして、
つぼみの部分を摘んで花瓶に挿したらあっというまに咲いてくれた。

nanako

開花には温度が大事なんですね。

このところは何もない日々。

もう12月になってしまった。
記憶をさかのぼってみても、
今年は風のように過ぎ去っていった気がしてならない。

出来事としてはここ数年来で最も変化にとんだ一年ではあった。

環境も変わったし、僕もかわった。

にもかからわず一年を早く感じてしまうのは、
「内的処理」に費やすことが一番多かったからかもしれない。

誰かと話す機会が圧倒的に減少した。

何らかの軋轢、摩擦、発奮、そういうものがすべて僕だけの中でおこり、
そして止んでいった。

そして、気がついたら2005年は終わろうとしている。

コミュニケーションをとらないと、出来事としての時間の経過を感じることは少なくなるのかもしれない。

もちろん、今年培った物事はたくさんあるけど。

まあまだ3週間あるし、最後の充実をはかりましょう。

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2005年10月 9日 (日)

危機

村田バラ園からパンフレットが送られてきた。
もうこれ以上バラは増やすまいと心に決めて、
すこし気持ちも冷えてきたところにピンポイント攻撃をくらってしまった。

欲しいバラができてしまった!!
でもここで買ったら・・・

村田バラ園は古めのハイブリットティ、
言い換えればパテント切れの品揃えが良くて、
要は僕の趣味に合う訳ですよ。

どうしようかなーとベランダと相談。
うーん。。。。

夜にベランダでバラをみるのが好きで、
寝る前の一服もかねて、
だいたい深夜にバラを観賞する。
昼間は光をすかすように輝いているバラが、
夜になると今度は闇夜に浮かび上がる。
まるで印象が違い、そしてまったく別の美しさがある。
風がすこしひんやりする秋の宵はまた格別だ。

んで、そんな我が家のベランダに今ラ・フランスが咲いている。
(写真とってないんで明日とってアップします)
この花もまた、初期のハイブリットティ。
というよりも、最初のハイブリットティ。
最近わかってきたが、僕はこの辺の花が好みだ。
オールドとも違う。
かといってモダンローズともちょっと違う。
花弁数が多い、丸弁か半剣弁のカップ咲き。
(テクニカルタームですみません。今度説明つけます。)
ティからモダンへの架け橋となる時期の、
歴史的にも重要な品種が多い。
そういう歴史的にも姿的にも、
中間ラインにいる感じが良いのだな。

バラ園でいろいろな種類をみると、
オールドは原種に近い、野趣がある。
モダンはとにかく絢爛豪華。
その中間の初期ハイブリットティは、
懐古的な洗練。

戦前のクラシックカーではない。
かといって最新のスポーツカーでもない。
30年前くらいの、手工業的要素が入っている最後の時期の、
ある意味完成形の美しさ。

フェラーリでいえばディーノ、
ランボールギーニでいえばミウラ。
日産でいえば箱スカGT-R!

やっぱり分かりにくくてすみません。

そういう美しさがある、ハイブリットティが好きなのでした。

ああ、書いてみるとまた欲しくなってきたー。

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2005年9月27日 (火)

醜さと美しさ

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昨日のマッカートニーローズのその後。
日数が経過すると、花弁も荒れてきて、見た目が悪くなる。
すこししおれ気味だが、また香りが残っているので、
切り花にして机上に置いてみた。

基本的に八重咲きのバラは、
おしべが見え始めると盛りが過ぎたと見なされるようだ。
写真でみる姿はほとんどがその前の段階だし、
切り花で売られているバラはつぼみに近いんじゃないか、と思われるような
ものが多い。
たしかにその段階が香りもよいし、
瑞々しさがあって、
いかにもバラらしい豪華さがある。
僕も最初はそう思っていて、
春のうちは、雄しべがみえると切ってしまっていた。

でも、バラになれてくると見方も少し変わってくる。
朽ちてゆくバラの姿もまた風流ではないのか、と。

盛りが過ぎたバラは、色が失せ始め、
色素が少なくなるにつれてシミのようなものが出始め、
香りも次第に薄くなり、
全体に精彩を欠いて、
しおれたようになってくる。

最盛期の姿を「美」ととらえるならば、
朽ち果てていく姿は「醜」だ。
たとえば均整のとれたもの、調和のとれたものを「美しい」とおもうのならば、
そうではないものは、「美しい」ものから排除されて「醜い」ものとなる。

では、「美しい」と感じるものを、
「有り様」というふうに、少しとらえてみるとどうか。
「醜い」と思っていたその姿も、
朽ち果てていく一連の過程として、「美しい」ものとしてとらえる事ができるのではないだろうか。

それは、「絢爛豪華」に対する「わび・さび」がいずれも「うつくしさ」 として認められていることと同じである。

要するに、「美」に対する評価の地平をかえてみれば、
「醜」と思われたものもまた、
「美」となると思った訳です。

こんな事は美学の基本なのだが、
しおれたマッカートニーローズをみていたら、そんな事をふと思った。

ちなみに、「薔薇のパルファム」という本の口絵の写真もそういう姿をリアルに映し出しています。
(safariを使うとニフティはリンク自動で貼れないんです。すみません。)

じゃあ今度は、「朽ちていく姿」はなぜ美しく思われるのか、
と話題は進んでいく訳だけど、
それはまたそのうち。

一つだけ思うのは、咲き誇っていたいわば過去の栄光を背負っていて、
その栄華を記憶として連想させるからじゃないかなあ。

おしまい。 

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2005年9月26日 (月)

マッカートニー

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ザ・マッカートニーローズ。
ポールマッカートニーにちなんだバラ。

「香りの薔薇」という本で知って入手した。
「薔薇の香り」がする、と表現されていて、
さてどんなものかと期待しながら秋までつぼみを摘み続けた。
写真は咲き始めの様子だが、それから3日たってもまだ花容を崩さず咲いている。
花持ちがよいようだ。
デジカメの電池が切れてしまったため、携帯で撮影。
だからちょっと不鮮明になってしまって残念。

香りは、「薔薇の香り」というだけあって、すばらしい。

Neige Parfumもすばらしかったが、
これもまた、別のすばらしさがある。
どう違うのだろうと、いろいろ考えてみたが、具体的な表現が思いつかない。
そこは僕の嗅覚の限界なのだから仕方がないのだが、
やはりNeige Parfumとは違う。
それが何なのかがわからない自分がもどかしい。

比喩的にいってしまうと、「芳しさ」があるのだ。
ゴージャスな香りだ。
自分に合う豪華さを熟知している年上の女性、といったところ。
すごくきれいなのだが、どきどきする、というよりは不思議な安心感のある感じ。
「芳純」という漢語が一番マッチする。
芳純という名前の薔薇があるが、
考えてみればたたずまいが写真で見る姿に似ている。
系統的に近いのかもしれない。

このばらに比べると、他の薔薇は例えば少女のように思える。
どちらがよいというものではない。
それぞれに相対的な良さがある。

あと3つつぼみを付けている。
しばらくは至高の香りを堪能できそうだ。

このばらにちなんで少し書くと、
ポール・マッカートニーは僕の大好きなミュージシャンの一人である。
大好きな、といってもビートルズ以降はあまり知らないし、
少しだけ知っているビートルズ以降の作品も、あまり引かれるものではない。
やはりビートルズ時代のポールが最高だ、と僕は勝手に思っている。

もっと特定して言うと、
僕は一般に「ホワイトアルバム」と言われている、'The Beatles'という二枚組のアルバムが大好きなのだ。
ビートルズの歴史をたどると、このアルバムにはいろんな背景があるが、
それをふまえずに作品の印象にだけ触れてみても、
とにかく4人の個性がよく出ていて、でもバンドとして崩壊するような対立は起きず、かといって一つに調和している訳でもない、まさに絶妙な均衡がとれている絶品だとわかるだろう。

ジョンの作品も名曲が多いが、このアルバムでいいなと思うのは、
なんといってもポールのメロディメーカーの天才に触れられること。

'Blackbird'と'I Will'に顕著にそれが現れているとも僕は思っている。
二つとも弾き語りに近いシンプルなアレンジで、
だからこそ旋律の善し悪しが問われる。
典型的に簡単な和声に、典型的に調和する、お手本のように完成された旋律。
バッハのインヴェンションをきいているように、すばらしい曲の見本に思える。
何度聞いても聞き飽きない、珠玉の逸品である。

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2005年9月 9日 (金)

Neige Parfum

ネージュ・パルファムが咲いた!
まだつぼみが開きかけた程度だが、うれしくなって写真におさめた。

Neige Parfum
「香りの雪」という意味。

バラの本を読むと香りのバラといえば、これ!
という感じで書かれていることが多い。
新苗で入手して、ずっとつぼみを摘み続けていたから、
初めて花をみることができた。

我が家にあるバラの中で、
ミニバラ以外で唯一の純白の花でもある。
いいねえ、すばらしいねえ、とつぶやいてしまうくらい
ささやかな幸福感を感じた。

肝心の香りは、
何というか、絶妙!
モダンローズの香りには、
オールドローズにはない成分が含まれていて、
それがローズエッセンスなどの香りとは少し違う印象を受けさせる原因となるそうだ。

初めて本物のバラの香りを嗅いだときに、
なんかちがうな、という印象を持った。
バラ園の人にそのことを言ってみたら、
「エッセンシャルオイルの香りと現代バラの香りは違うんですよ。」
と言われた。
後に本で読んで納得した、というわけだ。

具体的な印象としては、
モダンローズに特有のその成分はすっきりとした香りを持っていると思う。
甘さに清涼感が混ざったような香りを発する。
それを「モダンローズ特有の洗練された香り」と表現する本もある。
個人的には、
バラはバラらしく、甘ーく香ってほしいなと思う。
だからモダンローズの香りはあまり好きではない。

しかし、ネージュパルファムは、というと、
甘さと清涼感のバランスがピカイチ!
というか、
僕が好きなバラらしい甘さが清涼感を上回っていて、
後者が前者の引き立て役に徹している。
スイカにかける塩のようなものかな。

これこそ「洗練」だ。

今年はあと何度咲いてくれるのだろうか。

DSCN0259

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2005年9月 6日 (火)

にょきにょき

昨日は訳の分からないことを書いてしまったので、
今日はまたバラ。
春に導入した新苗が順調に育っている。

夏に一度黒星病(葉に黒い斑点ができて罹患すると落葉してしまう、カビ性の怖い病気)
にかかって株元辺りの葉が落ちてしまったが、
暑さが一段落した辺りでまたにょきにょきと芽を出し始めた!
しかもこんなにたくさん!!
DSCN0257わかります?
ドフトヴォルケ。
来週くらいに一足早く咲きそうなので咲いたらupします!

それにしても、

バラは恐ろしく成長が早い。

数日もたつと姿が変化する。

植物の栽培って、
何日も何日もじっと待ってようやくちょっとのびる、
それをじっくり待つことが楽しい、みたいな
スローライフ的なのんびりしたイメージがあったが、
バラはそんな僕のイメージを変えてくれる。

日々刻々と変化する。

だから中華鍋みたいに熱しやすく冷めやすい僕でも
飽きずに興味を持ち続けていけるのだ。

バラ栽培おすすめですよー。

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2005年9月 2日 (金)

ななこばら

なんだか陰鬱な話が続いたので、
久しぶりにバラの話題を。

夏の暑さでハーブが二つ枯れてしまった。
去年と今年と、ハーブを春に数鉢買っているが、どうも枯れるものが多い。
エアコンの室外機が生み出す灼熱に耐えられないだろうか。
バラは一つも影響を受けずにすくすくと育っているのだが。
手をかけなければいけないといわれるバラが元気に育ち、
本来雑草のようなものであるハーブがしおれてしまうのはちょっと不思議だ。

というわけで(ベランダの鉢の総数が減ったので)、
また買ってしまいました!!

今度のバラは「ななこばら」。
魚子薔薇と書くのが本来で、
江戸時代から栽培されてきた日本固有のミニバラ。
DSCN0252ロサ・キネンシス・ミニマという原種のミニバラの自然実生らしい。
自然実生っていうのは、人工的な交配ではなく、
自然に交雑してできた種から自然に生まれた品種、という意味。
写真で見るように、一重の薄いピンクの入った花がつく。

江戸時代から、、、という物語に多分に影響を与えられているのかもしれないが、
僕が眺めるその風情はなんとも清楚である。
青春時代に味わった、永遠の恋人に出会ったと錯覚してしまうような女の子を前にしたときに感じるさわやかな衝撃と震え、
そんな類の清楚さ。

そういった清楚さは、桜と共通のものかもしれない。

だからこそ、きっと薔薇文化の根付いていなかった日本でも、
古くから忘れられることなく受け継がれてきたのだろう。

ななこばらとの最初の出会いは駒場バラ園だった。
大株に育ったミニバラが並んでいる棚があって、
覆い尽くすように咲いている姿がとても印象的だった。
その棚の辺りには他のバラとはことなるすこし独特な香りが漂っていたが、
それがどのバラのものなのかは特定できなかった。
葉の香りような青臭い感じの混じった、甘さの抑えられたすっきりした香り。
香水でいうグリーンノートに近いのだろうか。
とても好感の持てるすばらしい香りだった。

手に入れて初めてわかったのだが、
その香りこそ、ななこばらの香りだった。

図鑑で調べると、ななこばらは「微香」と書かれていて、
香りを期待して買った訳ではなかった。
しかし、花数がとてもおおく、全体として香りが出てくれるのだろう。
単純な足し算。
おかげですごく得した気分だ。

ベランダがまた元の狭さに戻ってしまったが、
楽しみも増えた。
購入したのが開花株だったので、久しぶりにバラの香りを味わうこともできた。

これでまた勉強もはかどるだろう!
すべてを勉強の動機付けにして前進前進!

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2005年7月30日 (土)

静謐

久しぶりの更新になってしまった。
今日はバラのはなし。

懸案のハダニ問題はやはり解決させず、
今週は少しほったらかしにしてしまったら、糸を張るくらい広がってしまった。
(ちなみに、ハダニはバラによくつく小さい小さい虫で、乾燥を好むため、
雨のあたらないベランダではとてもよくおこりやすいそうです。分類上はクモの仲間らしく、繁殖度がますと葉に糸を張ります。これにやられてしまうと落葉してしまって元気がなくなってしまうのです。↓ココにのってます
http://www.sumika-takeda-engei.co.jp/navi/gaichu22.html

まいったなあ、と言うわけで、
ハダニの駆除をこころみた。

まずは繁殖のつよい、糸が張っている葉を全部むしり取る。
本当は木全体のすべての葉をとった方がいいらしいが、
今回はそこまではしなかった。
それでも下側が丸裸状態になってしまった。
そして、
殺ダニ剤を散布。
今回の農薬は、身分証明書と印鑑を提出して買った劇薬だ。
石油とシンナーを混ぜたような鼻につく刺激臭がする。
殺人事件のにおいだ。
肌にかからないようにしっかり着込んで、汗だくになって丁寧に散布。
これで様子を見ることにする。
それにしても、においがすごい。
異臭騒ぎになっておこってもおかしくないくらいだ。
最終兵器としてとっておくことにしようとおもった。

僕は消毒後の雰囲気がなんだかとてもすきだ。
いつもの消毒のサイクルは10日くらいで、
前回の消毒から10日くらい経つと、小さい虫が株の周りを飛び始める。
コバエとか名前の分からない虫とかいろいろだ。
それが目立つようになったら散布する。
殺虫剤と殺菌剤を撒くのだから当たり前なのだが、
散布すると、あたりを飛んでいた虫たちが姿を消す。
植物の周りに動くものがなくなる。
ものすごく静謐な雰囲気だ。
そしてその静謐さは、死の静謐なのだ。
まるでSF映画にでてくる、核戦争が起きたあとの廃墟にぽつんと経っている木のような雰囲気。そこまで言うと妄想し過ぎだろうか。

死ぬとはどういうことなのだろか、とよく考える。
自分の死期を知った人間はどのように日々を生き抜くのか、
人は死と言う事実を受け止められるのだろうか、
考えるときりがない。
消毒後の雰囲気は、そういう死の概念を幾ばくか経験させてくれるように思えてならない。

まあ、概念的なことはさておき、好き嫌いのレベルで僕は「死」に関係する場面がすきなのだ。
(死体マニアとかそういうのではないですよ。病に倒れた人間のラストシーンとか、物語に関してです。)

農薬を使うと、少し気分が悪くなるし、体調が優れないときには息苦しくなりもする。それでもなお僕が消毒を続けているのは、そんな静謐な死の雰囲気を見たいからだ、といってもあながち嘘ではないかもしれない。

しっかーし、バラって本当に手がかかります。
少し目を離すと必ず何かが起きる。
そのことがかえって「育てている」感を深めてくれるといえばそうなのかもしれない。
園芸関係の掲示板をみていると、
「植物とむきあいなさい」みたいな、宗教的というか「園芸道」的発言が多いのだが、まあ分からないでもないです。

↓は春に撮ったスズランです。透明感のある白い花が名前の通りに鈴なりに咲いている姿が、きわめて可憐な印象を与えてくれました。香りも甘さが抑えられたすっきりした清涼感があり、すばらしかった。
ちなみに、スズランの根には毒があるそうです。これも「死」の花かな。
200505091016

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2005年7月23日 (土)

swing low, sweet chariot

今日はきわめて私的な、小さくささやかな経験の記述、といったところです。

今回のタイトルは、黒人霊歌、ゴスペルソングである。「揺れよ幌馬車」という日本語の訳詞もあり、古くはポケット歌集みたいなものにのせられていたらしい。小学生の頃、ポケット歌集の歌はほぼすべて歌えた僕の記憶の中にこの歌はない。僕の世代の頃にはもう廃れていたのだろう。エリック・クラプトンが70年代にカバーしており、そのせいでかろうじて名前が生き残っている歌、と言ったところだろうか。しかし、現在ではこの歌は、(正確にはその題名が)一部の世間に通用しているはずである。この歌のタイトルを冠した薔薇が存在し、しかも人気の品種だからだ。

ところで、はじめは大していいと思わなかったものが、何らかのきっかけでよく見え始めることがよくある。きっかけとは、例えば他人の評価だったり、その物に対する物語であったりと、様々だ。だれかが高く評価をしていることを聞いて、突然あるものがよく見えたり、凡庸に見えた作品が、その作品にまつわる壮大な物語を聞くと、とたんに歴史的価値をもった高級品に見えたりする。このような現象は「人の評価に流される」などといわれて、一般には否定的なイメージがあるが、そのようなきっかけによって鑑賞の観点が増すということを考慮に入れれば、それほど悪いことでもないと思う。それが自分の鑑賞眼をレベルアップさせるのに役立てられうるのであれば、ならさらのことだ。

スイート・キャリオット(薔薇のほうです)と僕との関係は、まさにこのような経験を経ている。
「香りのつよいミニバラはないかな」といろいろ探していたところ見つけたのが、スイートキャリオットだった。実物は見たことがなかったが、調べてみると、ヤフオクでもプレミアとまでは行かなくとも結構割高で取引されているし、バラの説明が詳しいサイトをみても、「香りがないからミニバラはすきじゃないって人がいれば、ボクはコレを見せるネ」なんてことが書いてあるし、
http://www.rdrop.com/~paul/minis/chariot.html (←ココデス)
これは買いなのかなと思っていたところ、幸運にも駒場ばら園においてあったので、即購入してみた。
家に来てから1週間くらいで一番花が咲いてくれたが、最初の印象は、正直言ってあまりよくなかった。バラの咲き方にはいろいろな分類があって、スイートキャリオットは「ポンポン咲き」という分類に当てはめられる。細長の花弁が文字通りチアガールが持っているポンポンのように、マリモみたいに丸く咲いている。そういう咲き方が、どうも僕の趣味には合わない。素朴な感じはするが、僕が求める華麗さがない。確かに香りはいいけど、余計なもの買ってしまったかな、とすこし後悔しさえした。
ところがその後、スイートキャリオットが歌のタイトルから来ていると知り、何気なく検索してみると、エリック・クラプトンがカバーしており、しかもその盤を僕が持っていることに気付く。普段曲を聞くときに題名に注目しないからわからなかったのだ。

と言うわけで、改めて聞き返してみた。クラプトンのカバーはレゲエのリズムを取り入れた少しかわったバージョンで、あとで入手したBBキングのオーソドックスな演奏よりも、すこし現代的な、乾いた夏の大地を連想させる。古いトラックが走る南部の田舎道、以前 ERというドラマ(大好きなドラマ!)でベントンがミシシッピの療養所に出張診察に行くという回があったのだが、その回で流れていた田舎道の風景がばっちり当てはまる。そこでスイートキャリオットに目を移すと、いかにも南部の道ばたにひっそりと咲いている感があるではないか!僕はアメリカに行ったことがない。だからこそ、ブルースを生み、ジャズを生んだ南の空気に牧歌的な想像を膨らますことができる(実際に行けばただの観光地かもしれないのだ)。物足りなさを感じた赤いポンポン咲きの素朴さが、今度は心の原風景に描かれる理想に見え始めた!

それ以来、スイートキャリオットは僕のおきに入りとなった。そして、同時にバラの花容に関する趣味も一つ広がった。ポンポン咲きもいいではないか!というわけだ。我が家のベランダの一角で、スイートキャリオットは、ボトルネックギターのサウンドを響かせて風に揺れている。

↓はスイートキャリオットの二番花です。色が浅くなりましたが、香りは相変わらず甘いダマスク香。色が浅い分、写真で拡大してみると、ダマスクローズに似ているような気がします。
DSCN0243

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2005年7月19日 (火)

ハダニ

今日はバラ栽培について。
このところ雨が降らない日が続いて、梅雨もあけたと思ったら、やっぱりきたー。
ハダニ。実は数日前から黄変、落葉が見られた株があったのだが、これまでハダニがついたことがなかった品種だったので、生理障害なんだろうとおもってそのままにしておいたのだ。そして今朝、葉裏のチェックをして、ん、これはハダニだ!!とようやく発見し、全部の株を調べたら、レディヒリンドンとガートルードジェキルと粉粧楼とラフランスがやられていた。ラフランスはとにかくもう病気やらハダニやらつきまくる虚弱児なのでいつものことだったのだが、ほかにもやられていたとはちょっとショック。

とはいえ、まだクモの巣が張ってしまうまでにはいっていなかったので、さっそく殺ダニ剤散布開始。卵と幼虫に効果がある薬品を使ったので、しばらくは成虫が居続けるが、一週間くらいで消えるそうだ。
前回同薬品を散布したのが一ヶ月前だから、一ヶ月でまた繁殖してしまったことになる。殺ダニ剤は抵抗がつきやすいからと理由で、予防散布はしていなかった。やっぱり予防の意味を込めて毎回の農薬散布のときに混ぜた方がよいのだろうか?
ていうか、抵抗がつくのをさけるために剤は複数種使用すべき、と本には書いてあるけど、都心の園芸コーナーには「バロック」一種しかうっていないんですよ。ほんとにどこにも。「ニッソランV」が欲しいのですが、入手先ご存知のかた、是非教えてください!!

というわけで、今日は期せずして農薬散布の日になった。梅雨明けもあって、エアコン室外機がバラたちに試練を課すベランダは相当に暑く、葉を摘んだり、何だりで、汗だくになりながらの作業だった。

このような暑さの中、涼しげに佇む蕾を二つ発見した。なぜ「発見」かというと、今まで花が覆いかぶさるように咲いていたので気付かなかったからだ。花がら摘みをしたら、なんとも言えないきれいな蕾が姿を見せてくれた。昨日のジャックカルティエの蕾みなのだが、いやはやなんとも。二番花のしかも側蕾なので小さいのだが、その小ささもまた、ガクに包まれた桃色の花色の美しさを引き立てている。「ちょっとした幸福感」とはこういうことを言うのであろう。a small good thing.
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2005年6月13日 (月)

粉粧楼

今日はちょっと昨日までの流れとは別に、サブコメント的に。。

粉粧楼。言わずと知れた、とある本で有名になったチャイナローズである。僕もまた、その流れというか影響で、無農薬栽培にたいして関心がないにも関わらず、粉粧楼は手元にある。樹そのものは結構強く、黒点で葉を落とすこともあまりなく照り気味のきれいな葉を見せてくれるのだが、評判通り、とにかく花弁が繊細なバラで、雨に極端に弱い。僕の部屋のバルコニーは雨はあたらないのだが、農薬散布のときに、割と膨らんだ蕾にかかってしまい、半分以上がボーリングしてしまった。それでも生き残った蕾がきれいに咲いてくれたのだが、それもまた繊細で、薄手の紙を根気よく巻き付けたような、いかにも『今日は頭痛がするので臥せっております』なんて「あさきゆめみし」にでてくるセリフをいっていそうな佇まいで咲いている。そういう姿から、僕にとっては粉粧楼は繊細さ=弱さの象徴的なバラとなりつつある。

ものすごく端的にいってしまえば、僕は弱いものが大嫌いである。僕は強さに心からあこがれを抱いている。好きな言葉は、JFKの父親がケネディ家の家訓とした、「一番になれ。二番以下はすべて敗者だ」である。最も嫌いな歌は、smapの『世界に一つだけの花』である。負け組を正当化する歌である。何が強くて何が弱いのか、何をもって勝者とするか、何を持って敗者とするかは微妙な問題だが、少なくとも僕にとって、弱いものは嫌いであるということは確実である。なぜなら、僕自身弱い人間であるからである。ある作家の言葉だが、人は、その人が最も多用する言葉こそ、その人に最も欠落しているものであるそうだ。ぼくにとっては、『強さ』と『知性』ということになる。自分に強さがないからこそ、それを理想としてしまうわけだ。粉粧楼を眺めていると、なんとなく自分に照らし表されて、むずがゆい思いをしてしまう。「ねえ、君はもっと強いばらにならないと!」と思わず言いたくなる。自分に照らし合わせるのではなくて、繊細な女性のようにながめれば、それはそれでオツなんですけどね。




rose10

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