恋愛

2006年12月16日 (土)

絶望・死への想い

これはきっと僕が一生背負い続けなければならないのだろう、
とその当時におもっていた問題が、
それから10年の歳月を経てもなお、
なんら変わらず「一生の問題」であり続けている、という認識は少なからず僕を絶望的にさせる。

あれから10年間、それはともすると記憶の美しいカプセルを身にまとって、過去の懐かしい記憶ととして保存されているとおもっていた。

しかし、それは違っていた。

僕は青春の問題を一生抱えて生きていくのだ。

キエルケゴールは人生は絶望を生き抜く事だと言っているけれども、
そのような人生は結局のところ文学的気質を持つ人間=何らかの精神的瑕疵を抱えている人間にかぎってのことだおもっていた。

僕はそういうタイプじゃない。
平凡な幸せを平凡にぬくぬくと暖めながら生きていく平凡な人間なのだ。
そう思っていた。

ところがどうだ。
どうやら僕はそのような気質を持ち合わせているようだ。

文学的資質をもち芸術的才能に恵まれない人間なんて最悪だ。
表現という自己治癒手段を持たずにただ絶望と向き合わなければならないのだ。

僕は絶望を抱えながら生きていかなければならないのだ。

死への思いがかすかに、しかし突然に僕を包み込む。

どうにもならない。
もうどうにもならない。

助けてくれ。

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2006年9月28日 (木)

娼婦。

本と娼婦は、ベッドに持ち込むことができる。

ベンヤミン


軽やかに読書しないと。

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2006年9月12日 (火)

友情。

だいぶ前のこと。

とっても仲が良い二人の中学生がいました。
彼らは親友同士でした。

卒業が近づいたある日、
二人は「絶交」状態になってしまいます。

原因はやっと乗り越えることができたばかりの高校入試。

第一志望は駄目だったものの、滑り止めでは決してない高校に合格することができたAくんに、
Bくんが「おまえ、あんな学校に行くのかよ」と軽い気持ちで言ってしまったのです。

成績はBくんが上で、Bくんは無事志望校である難関校に合格することができていました。

いろいろと思うところがあったのでしょう、
AくんはBの何気ない一言に深く傷つき、
「あいつとはもう絶好だ!」と言い切ってしまったのでした。

それまでとても仲良しだっただけに、
二人とも指導してしていた僕はなんとかしないと!
と頭を悩ませたものです。

そこで、
ABとそれぞれ話し、「青春期の友人は一生の友人になるんだ!こんなことで一生モノの大切な友人をなくしてならないよ!」と諭して、
BくんはAくんに謝り、Aくんはそれ を許し、
二人は握手して和解したのでした。

その後二人の友情は高校に入ってからも続き、
互いの家を尋ね合い、将来の夢を語りあったそうです。



昔は僕もキンパチ先生みたいなことをしていたんです。




さて、
また同様のケースの問題がまた起きてしまった。

しかも今度は女の子同士。

男は単純だから、わりとこういうケースは解決できるのですが、
女の子は複雑だからなぁ。

何かいいアイディアありませんかねぇ。

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2006年4月18日 (火)

経験的事実。

美女は常に多数派である。

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2005年10月 7日 (金)

美女の涙

数日前の話。

池袋駅の構内で、泣きながら歩いてゆく女性とすれ違った。
鼻の頭を真っ赤にして、こみ上げる涙を抑えきれないもどかしさに耐えきれなくなっていたのか、顔を歪ませて涙を流しながら足早に僕の前を通り過ぎっていった。
色白で、パンツスタイルのきりっとした感じの美しい女性で、僕が人ごみの中で彼女に気がついたのは、彼女が美しかった事もあったけど、彼女がヴァイオリンを持っていたからだった。
ヴァイオリンをもった美しい女性が涙を流す姿は、
なにかその背後に物語があるような、神秘的な雰囲気を持っている。
彼女とすれ違った一瞬、彼女は物語を背負って、雑踏の中で浮き上がっていた。

涙が神秘的であり得るのは、美しい女性だけに与えられた、生来の特権である。
そして、若く美しい女性が涙を流すのは、恋愛についてかもしれない。

彼女は恋人との別れを向かえていた。
同じオーケストラの恋人とはもう何年もつきあっていて、長い年月の中で少しずつお互いの関係に少しずつずれが出来上がっていき、気がついた頃には、二人の関係のずれは修復不可能なほどにまでなってしまっていた。
そして、その事を最初に認識したのは彼女だったのだ。
彼女は思い切って別れを告げる。
関係は崩壊寸前であったとはいえ、まだ彼女を愛してた彼はもう一度でいいからあってくれないか、と彼女に懇願する。
そして、今日がやってきた。
練習のあと、彼女はこれで最後だという覚悟で彼と二人で合う事になる。
彼の必死の復縁の試みにも彼女の決意は固い。
二人は最後のときを迎える。
だが、いざ本当に別れるとなると、これまでの楽しかった記憶がいかにも鮮やかによみがえってくる。
気がつくと涙が流れていた。現在の彼とは修復不可能なまで歯車は狂ってしまったが、もちろんそんな二人の間にも、大切な思い出は数知れず存在する。
けれども、もうどうしようもない。
そんな絶望感が涙をもっと流させる。
別れの瞬間、二人は共に涙を流していた。
そして、
彼女はこらえきれない涙をほほに伝わされながら、
駅を足早に歩くのだった。

と、こんな物語を妄想しながら仕事に向かいました。

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2005年5月24日 (火)

初回!

初めてブログというものをやってみます。システムが全然理解できないくらい僕にとってブログは距離がある存在なので、ブログ『というもの』になってしまいます。これから書き込みながら、使い方をマスターしていきたいので、いろいろかわるかもしれません。言葉遣いも変わるかもしれません。よろしくお願いします。

さて、

最近、ここ3年くらい、香りに興味がある。香りがあるものを集めたり、嗅いだりしている。香水やお香や花などだ。 もともといわゆる『においフェチ』ではなかった(はずだ)。きっかけは、女性の香りだった。 ちょうど3年くらい前、女性が身近にいない期間、つまり彼女がいない期間が結構長くあって、ちょっと、というかかなり寂しくて、過去の記憶に引きずられながら絶望のなかをうごめくように毎日を過ごしたことがあった。要は失恋したショックから立ち直れずに落ち込んでいただけなのだが、その頃、街の喫茶店でコーヒーを飲んでいるときに僕の前を女性が通り過ぎて、いわゆる女性の香りが僕の鼻をついたことがあった。香水の香りだったかもしれないし、日焼け止めの香りだったかもしれない。あるいは体臭だったかもしれない。その香りが僕をとらえた瞬間、それが過去の記憶を呼び起こして、これまた深く落ち込んでしまう、ということがよくあった。元カノの香りの記憶に結びついて、思い出してしまうわけだ。
失恋のショックに悩まされていた時のことだから、未練たらしく写真を見てしまったり、昔かいた文章を読んでみたりしてイジイジすることもあったのだが(情けない。。。)、香りが喚起する記憶はほかのどれにも勝って鮮やかで、あたかもその瞬間、「僕は過去の記憶のなかにすんでいて、すべてが幸福な、美化された世界を生きている」ように思われたものだ。僕が香りに関心を持ち始めたのはそれを感じた瞬間からだった。
あのときの経験から、香りは、文字や画像よりもより直接的に人に働きかける作用があると思うようになった。それは音楽の持つ躍動と同じように、こころというよりからだ、精神というより身体に作用するのではないか。それが僕のもった感想だった。 精神が媒体とするものは、端的には文学=言語である。言語は理解を前提とする。絵画だってそうだ。描かれているモチーフの理解はもちろん、「現代的』と言われる作品であればあるほど、言葉の補足が必要になってくる、というように、視覚を媒体にするものにはそれを理解しなければならない、という知的な作業が前提となる。 それに対して、香りは、過去の体験に直接接続される。ある香りを嗅いで、何かが思い起こされたとしたら、その香りがどういう香りの成分なのかの分析などはいらないだろう。「理解」という媒体を通さずに、直接僕たちに訴えかけてくるのだ。そのような意味で、香りの体験は「身体的な」体験なのである。 さらに、僕自身、身体的な快楽には全般的な関心がある。というかそういうものに弱い。だから、身体的体験である香りの体験、ひいては香りに関心を持ち始めるのも当然のことだったのかもしれない。

というわけで、あのとき以来、香りに夢中である。最初は香水からだった。それまでつけもしなかったのに、突然何十本も集め始めた。それで1年くらいだろうか。それから次第に香水の原料の一つである植物に関心が移っていった。

そんなわけで、しばらくは、香りについてたらたらと書いていこうかなと思っています。

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