« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007年1月

2007年1月25日 (木)

近況、影響、勉強。

僕のこの業界生活も大詰めに入り、
今や受け持ちの子供たちのほぼすべてが三年生なので、
この時期はとても忙しい。

表情は引き締まり、
話題は来るべき試験が中心となり、
講師の一言一句すべてを拾い上げるように熱心に耳を傾ける。

僕も仇やおろそかな事は言えない。
語りかける一言一言を注意深く選ぶようになる。




僕の学級の生徒たちには1つの傾向がある。
それは、併願校に、ある大学を受験する子が多い事である。

世田谷区成城にあるその大学は、
世田谷区近辺に住む子がほどんとである彼ら/彼女らには通いやすいだろうし、
いわゆる「4大学」と言われるネームバリューもあるから、
併願校には手頃なのだろう、と僕は勝手に推察していた。

滑り止めの選択理由までいちいち尋ねたりはしない。

ところが、
この間保護者と話す機会があって、
意外な事がわかった。
その大学への出願動機に僕が関与している部分が大きいというのである。

その大学は、僕が現役受験の頃、受験した大学であったのだ。


話は一瞬、さかのぼる。

高校三年の三者面談のとき、
僕は担任に向かって、
大学では芸術学を学びたいこと、
第一志望は確定していてそれ以外は受験しない事を告げた。

担任はうつろな眼をして「そうか」と言ったきり僕の発言を無視し、
ランキング表をぱらぱらとめくって、
「芸術学を勉強したければ、和光大学とS大学があるな。
和光を滑り止めにして、Sをチャレンジにしたまえ」
と言い放ったのだった。

同席した母親もその意見に同意し、
浪人するにしてもどこも受からないで浪人生活を始めるよりは、
1つでも合格を抱えた方が心理的にも良いはずだ、と
僕を説得し、
その大学を受験する事になった。

果たして結果はその通りになった。

合格を知ったとき、
僕は18歳の幼い頭脳で真剣に思った。

「僕は勉強を何1つ知らない。英語の構造だってまるで理解していないし、歴史だってわからない。こんな状態で大学生になっていいのだろうか」と。

当時の僕は、thatが接続詞であるということすら知らなかったし、
絶対王政がいつの時代かも把握できていなかったのだ。

もっと知りたい。勉強をわかってから大学に行きたい。
恥ずかしながらこんなことを真剣に考えた。


こうして、
めだたく予備校生となったのである。




この話を子供たちの前でした事があったのだ。

僕としては、
「勉強することは喜びの経験でもあるんだよ。」ということを言いたくてこの話をしたのだが、
子供たちには事実的側面が印象に残ったらしい。


彼ら/彼女らが出願を前に家族会議を開いたとき、
僕の話を持ち出して、
「だから俺もそこを受ける」
と言っているとかなんとか。
中には
「だから俺も受かってもそこには行かない」
と言っている子も居るとか居ないとか。


自分の発言の影響力の意外な大きさに、
少しばかりうれしくなるとともに、
自分が子供の人生選択に少なからず寄与しているという責任の重さを感じたのだった。

こうなっては、
なんとしてもその大学は合格させてやらないと。

そんなこんなの一月入試直前期でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月15日 (月)

A&S

Nec_0005_1

Nec_0008


A&S

1970年創業。
福島県郡山市大町にある福島県唯一のジャズ喫茶。

僕が高校時代毎日のように通った、
いわば青春の玉手箱。

この店で僕はジャズに出会い、
ジャズとそれに連動して文学にのめり込んでいった。

店のマスターからジャズの体系がわかりそうな本を選んでもらい、
歴史書から名盤ガイドみたいなものまで調べて、
東京に来る度にレコードと本を買いあさる、
そんな高校時代だった。
そしてこの店はそんな青春時代の大いなる象徴だった。

東京に出てきてからも、
帰省の度に顔を出し、
近況報告と昔話にマスターと花を咲かせていた。
帰省したときに店に顔を出すと、
同時期に帰省したかつての同級生がやっぱり顔を出していて、
またこの時期になると会うね、なんて二言三言言葉をかわす。

いつの日か、
マスター、僕もとうとう人生が決まりそうです、
と言える日が来るのだろうなんてことをぼんやりと夢想していた。

僕が十代を過ごした日々がどれだけ遠ざかろうと、
この店だけは、時間の経過を拒否するかのように、
いつもいつも僕が行っていた時のままの姿で僕を迎えてくれた。

あの頃とまったく変わらない店内。
カウンター、僕がいつも座っていたテーブル、
タバコのヤニがこびれついた壁、
僕の10代と全く変わらない。

この店を訪れる事が、
僕にとっては見失いかけた自分のオリジンを確認し、
そして帰京後の活力になっていた。




この店が閉店する事を知ったのは、去年の年末にこの店を訪れた時のことだった。
40年以上続いた店の歴史にピリオドを打ち、マスターはリタイアするそうだ。



いろんな想いが僕の中を駆け巡った。


偶然の符号なのだが、僕は今年30才になる。
青春の恥ずかしきも切ない思い出が、
20代の終焉と時を同じくして文字通り記憶の1つとなってしまうのだ。

それは1つにはショックであり、
1つには僕の未来であった。

自分のオリジナリティに遡行する場所が永遠に失われていくことの寂しさ、
そして時間は無情にも流れ行くという現実を真っ正面から受け取り未来へ開拓する気概。

ものすごくたくさんの事柄を考えさせる年末年始だった。

高校を卒業し、東京に移住する際に、店で撮影した僕の写真を、
記念にと店の壁に残して来た。


もうさいごだから、とそれをもらってきた。

この文章を書いている僕の横にそれはある。

ヤニで黄色く変色した印画紙の向こうには、
当時の屈折した僕の姿が映っている。

それは音楽や文学や女の子ありさえすればもう何もいらない!
と卒業文集で言い切った僕の姿だ。

そんな事にかぶれていた僕は、

行きたかった大学の複数の学部に合格したとき、

美学美術史学専攻がある文学部に進学することを決めたのだった。

巡り巡ってロースクールに行く事になったが、
悔いはなにもない。

自分で決めた方向性、
これは僕自身の力で全うさせなければならない。

これまで、そしてこれからのことを考えさせてくれた、
それが「エーエス(と僕は呼んでいた)」の閉店が僕に与えた影響である。






6月11日が最終営業日だそうです。
郡山に行く機会がおありの方々はどうぞお立ち寄りください。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »