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2006年11月

2006年11月25日 (土)

fuck is fuck

今の大学入試は格差社会をもろに反映して、
カップラーメンにお湯を注ぐくらい簡単な問題しか出さない大学がある一方で、
かの女神をわが信仰に取り戻すくらい不可能な、とは言わないまでも結構突っ込んだ問題を出す大学がある、という傾向にあるようだ。

例えば慶應はおそらく教授が趣味的に選んだであろう論文を難易度を無視して出題する。
ソルジェニーツィンの論文を出したり、
バーナードショーの講演録を出したり、
これは教授の趣味だよなあ、とおもってしまうような問題を出題する。

最近は口語志向が強いとよく言われるけど、
その志向もまた、格差を反映した枠組みになっている。

例えば東海大は、
come acrossの同義語を当てさせる問題を出し、
(これは「出くわす」という意味の高校生の単語帳にはどこにも乗っている定番的な知識です。)
それに対して東大は、
’boat is boat, fuck is fuck'(ボートはボート、セックスはセックス)の意味を当てさせる。


もちろんこれは嘘である。

これは僕の個人的に好きな比喩です。
出典は村上春樹なのだが、
いかす女をヨットのクルージングに誘おうとしたリッチマンが、
女の子の「どうぜ私とやりたいんでしょ?」との一言に対して発した映画の中の台詞。
どの映画化は忘れました。


個人的にかなりヒットです。
受験的には’this is this, that is that'という慣用句は勉強します。まあ同じ意味ですが、センスが全く違う。
こういうのが生きた英語なんだよな、という感慨がおこるのはどう考えたって間違っていて、
これは下ねたです。

もちろん当のリッチマンはしっかりとファックを首尾よく成功させる、というのがその映画の落ちらしいです。

fuck is fuck.

いい表現だなあとおもう。

僕だったらfucks are fucksと言いたいところだ。
何おか言わんやは知る人ぞ知ることなり。


ていうか、fuckは可算名詞なのか?

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2006年11月24日 (金)

アモバン

Dr.コトーを見ていたら、
末期がんの宣告をうけた若い夫婦の話がテーマだった。

愛する女性と別離しなければならない運命にさらされた男は、
どのような反応を示すのか、
という月並みな問いかけに、
もちろん月並みなドラマはセンチメンタルな情景を描いていたけど、
もちろん僕も人並みの恋愛を経験したから、
こういう事態を勝手に仮定してもしそうなったら、について夢想を広がしてきた事がある。

僕の前を通り過ぎていった女の子の中で、
そういう思考を巡らしてしまったのはたったの一人だ。

この子ががんで死んでしまうのなら、
僕だって死にたくなるだろうとか、
子供と母体のどちらかを救おうとすれば他方は死に至る、
という選択を迫られれば、
もちろん僕は彼女を選択するだろう、
などなど。

もちろん僕はこういう状況になったことはないし、
(ほんと言うと一度だけあるけど)
今のところそういう思考を仮定するほど熱烈に愛する女の子に出会ってないから、
あくまで仮定の話になってしまうけど、
僕がそういう場面に出くわしたら、
「死なないでくれ」と124568回言い続けるだろうし、
間違いなく生まれてくるであろう子供より妻をとる。

いいかえれば、僕は「理想的な恋愛」をいつも求め、
「理想的な結婚」を求める理想主義者なのだ。

マルクス主義が破綻を来したように、
理想主義が実現する事ができることなんてありゃしない。

だから、僕はいつもそんなことを夢想し続ける。

僕が本気で愛した女性は、
きっと一生本気で愛し続けるよ。

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2006年11月22日 (水)

村上春樹

最近僕の中で村上春樹がブーム再燃だ。
ブックファーストを冷やかしていたときに何となく手に取ったエッセイ集が引き金となった。
読み出したら止まらないのが村上春樹なので、
今週末トイックがあるにも関わらず、
春樹漬けである。

僕にとって村上春樹は青春の象徴みたいなもので、
村上春樹に出会う事で青春が始まり、
村上春樹から遠ざかる事で青春期から青年期に移行したようにおもう。

高校入試が終わった春休みに「ノルウェイの森」を読み始めたことが、
僕の高校生活をある意味決定づけてしまった。
受験勉強、といってもたかだか高校入試だからそれほど苦労した記憶はないのだが、
それなりのストレスを抱えてきたこともあって、
反動的に春休みを「ノルウェイの森」を皮切りに読書に費やしてしまい、
入学までに出された数学の課題に手を付けず高校生活に入ってしまう羽目になった。
おかげで、数学の授業は最初から小説を読む時間になってしまったのだ。
おかげで、それから10数年後の現在、苦労をしている。
まあそれはいいとして。

村上春樹、というかもっと広く僕の文学経験を顧みるに、
きっても切り離せない人物が一人だけいる。
僕にとって初めての「親友」となった(と僕は勝手におもっている)人物で、
初めて「本について語り合える人間」であった。
進学校に入ればこういう人間と知り合えるんだな、
と変な感慨を抱いたものだった。

なんと言うか、彼と知り合う事で、
僕にとっての文学とか音楽が、
「教養」から「実践」へと変化した。
生活スタイルに変化をきたした、という事だ。

彼は中上健次みたいな人間で、
複雑な家庭環境と複雑な内的構造を通じて、
かなりエキセントリックな青春期を実践していた。
年を追うごとに逸脱さは度合いを増していき、
僕は彼についていけなくなり、
僕は僕で僕なりの自意識もあって、
次第に彼とは口をきかなくなっていった。

あの頃の記憶は今なお生々しさを帯びていて、
具体的に語ることはできない。

とまあ村上春樹の本を本棚の奥から引っ張りだすと、
そんなことを思い出したりするのだが、
今こうして彼の本を読み返してみると、
いわば「現在的意味」を感じるところが結構ある。

懐古趣味的に読み返すのではなく、
今の僕に役立つことが結構書かれているのだが、
それはまたいつか。

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2006年11月21日 (火)

ダマスクローズ

気がつくと、彼女は僕の目をじっと覗き込んでいた。
僕の存在に何らかの意味を求めているようなまなざしだった。
彼女の中で一体どんな思考が巡っていたのか、結局のところ僕には何一つとしてわからない。
表情から読み取る、という僕の都合のいい解釈でしかわかり得ないものだ。

世界に存在するのは事実である。
事実だけが世界を作り上げ、そして僕を苦しめる。

「どうしたの?」と彼女は言った。
何か?と僕は答えた。何でもないよ。
僕は彼女のまなざしに答えられなかった。
意味をさぐる彼女のまなざしは、
決して意味を放出しないようにしようと決意していた僕を大きく揺さぶった。

どうすればよいのかわからなくなった。

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2006年11月 5日 (日)

脳2

君の結婚こそ最も早いだろうと皆が言う。
そう言われつつ僕こそが最も遅いのだろうと皆に言う。

覚醒とまどろみの合間に時折現れるひかりに僕はとまどう。

ひかり

ひかり

ひかり

身体が絞り出したうめき声が、

身体が絞り出したうめき声が、

失われたあのきらめきの記憶を少しばかりまさぐるかのように、
時折またたく

どこにもいない僕は、
どこかにいるかもしれないという絶望をいつだって抱え得ている。

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