2009年7月24日 (金)

インセンティブ

外の世界には、僕が知らないタイプの人間がたくさんいるのだ。
そんなことを思う。
もちろん、これは異性に関して、である。

例えば僕の年代で、
それなりの社会経験を積んで、
それなりの見識を培って、
それなりの社交技術も身につけたような女性は、
既に僕にとっては異質な存在となっている。

異質と言うのは、
僕が生きている世界、僕の意識における世界とは全く異なっている、
という意味に置いてである。

そういうプロセスを経た人間は、
いわば正しく大人の女性になってゆく。

例えば性格とか、モノの見方とか、
そういうものは人間存在の本質部分としてかわらないとしても。

そういう「正しい大人の女性」に出会うことができるような環境に、
身置けるようにならねば、と思う。

それが僕の生きるincentiveになるのだ。

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2009年2月23日 (月)

久しぶり

3年ぶりの更新。
かといっても特に書くこともなし。

今年は暖冬の影響なのか、
もうバラの芽が吹いてしまっている。
もうちょっとあとになってからのはずだよな、例年は。

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2007年3月23日 (金)

予感

死へ。
危機感。

チャーリーパーカーは34歳で死んだ。
中原中也は30歳で死んだ。

いずれも珠玉の芸術を残して。

僕が30代で死んだら、
誰の記憶にも残らず、
ただどこかに墓が建つのみだ。

そんなのはいやだ!

50代までは生きる。

生きる為に必要なことは、
健康でいることだ。

その為には。。。

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2007年3月18日 (日)

青春の終わり

自分が流れ行く時間とともに、
確実に年齢を積み重ねていることを感じる。

なにひとつ自分は変わっていないと思っても、
実際には年齢相応に人格も変化しているのだ。

何故そう思えるのかというと、

最近若者の若者らしさをウザッタく感じるようになってしまったからである。

学生を見ていると、
ある意味無垢な、言い換えれば未発達な知能なり人格なりにいらいらさせられることがある。

例えば二十歳くらいの子とつきあう、
なんてことはもうあり得ないのだろう。

もちろん何事にも例外があるわけで、
21歳だけど大人の魅力にあふれている人だって中にはいる。

でも、若者が集まるような居酒屋の雰囲気はもはや僕には鬱陶しい。

そういうことだ。

そうだ。
僕の青春は終わった。

だからといって何がどう変わるというものではない。

しかし、それは少しだけ衝撃的な事実である。


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2007年3月15日 (木)

僕は暗い人間なのか。

このブログはアクセスもいまいちだし、
あまり読まれることを想定していないので、
独白的な要素が自然と大きく盛り込まれる。

つまりは僕の内面的な暗さが全面に押し出される。

僕は本質的に暗いのだ。

なんてことを自分で言ってしまう人間はきっと心底暗い訳はないのだろうが。

人間誰しもそうかもしれないけど、
気分が暗くなるときとは決まって目的喪失状態の時である。

なにかやるべきことを失ってしまった時、
例えば大きなことを達成してしまった直後とか、
だらだら飲み歩いているときとか、
そんな腑抜け状態の時、
僕らは、すくなくとも僕は憂鬱になる。

今そうだ。

乱雑な机。

読まれないまま積み上げられた本の山。

そんな光景をぽかんと眺めると、
気分がおそろしくめいる。

ため息をつき、夜が訪れるのをじっと待ち、
酒を飲んで何か文章を書いて寝る。

転機はある日突然訪れる。

それをただじっと待つ。

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2007年2月 8日 (木)

宿命。

自分の気質や性格が、僕自身に宿命なのだ、と最近強く感じる。

宿命とは、自分が作り上げ変化させることができることではなく、
生来的に僕の存在に負わされた、
僕の意思以前の問題である、ということだ。

それは例えば遺伝であるとか、血縁であるとか、
そういう文学的なたぐいのことだ。

だとすれば、僕の宿命は、自分が思っていたことよりも遥かに深刻なものであるということになる。

どうすればよいのだろう。

僕は途方に暮れている。

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2007年2月 1日 (木)

Farewell My Lovely

今日、1つの授業が終了した。

とある塾の高校三年生のクラス。

三年生のクラスは他社でもいくつか担当しているので、
それらの最終授業は、さわやかにエールを送る程度にしているのだが、
このクラスは別だ。

その子たちは、僕が小学生からずーーーっと担当してきたクラスだった。
小学生の三学期に僕が英語をabcから教え始め、
それから彼らの成長をずっと眺めながら、
大学受験に至った。
語学の勉強を最初から最初まで担った訳だ。

そんなクラスの最終授業。
ちょっと感慨深かった。

彼らとの六年間、それは僕の苦悩の日々とパラレルである。

この六年間、僕は僕の日々は壮絶だった。

精神に変調をきたした時期もあった。

涙を流しながら渋谷の勤務地への道を歩いたこともあった。

彼らは僕のそんな苦悩の日々を僕ととも歩んできた。

そんなことを考えると、
言いようの無い感慨が僕の心を満たす。

最後の授業の時、
僕は自分の人生について少しだけ語った。

今の僕がどんな人生を歩もうとしているか、
生徒たちは常々想像し、
僕にその質問をしてきたからだ。

先生は塾の先生を続けるつもりは無いんでしょ?
先生の野望ってなに?

僕が現在の僕について固く口をつぐんでいたにもかかわらず、
彼らは僕を信じ続けてくれた。

そういう問いが発せられたとき、僕はいつもこうやってはぐらかした。
「僕はどんな人間にみえる?」
彼らはどのような印象を僕に対して抱いたのか、 知りたくもあった。
すこし恥ずかしいので、生徒たちの答えはここには書けないが、
「よし、僕の方向は間違っていない」と思わせてくれるようなコメントだった。




そういう問いに今こそ答えるときなのだろう、
と僕は考えていた。

僕が自分がどれだけ挫折し、
どれだけ追い込まれ、
そしてそこから何を学んだかを赤裸々に告白した。
そして、そのような経験から学んだこと、
君たちへ望むこと、
などを訥々と述べた。

決して決してあきらめないこと。
自分の能力を信じて疾走すること。




授業後、
子供たちは、
それぞれがこれからの人生で抱く大志なり想いを僕に語りかけた。
僕はそんな想いを1つ1つ受け止め、
僕なりの言葉を投げかけた。



帰宅したら日付を超えていた。






区切り、わかれ。
そういう要素が人生の中で必要とされてるその理由が少しわかった。

人生は起承転結の繰り返しである。

ある時期にはその時期の終焉があり、
別れを経験し、新たな出会いを経験することが、
その人の生をより充実させたものしてくのだろう。

僕は飛び立つ。
彼らも彼女たちも飛び立つ。

お互いに充実した生を謳歌することを願いながら。

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2007年1月25日 (木)

近況、影響、勉強。

僕のこの業界生活も大詰めに入り、
今や受け持ちの子供たちのほぼすべてが三年生なので、
この時期はとても忙しい。

表情は引き締まり、
話題は来るべき試験が中心となり、
講師の一言一句すべてを拾い上げるように熱心に耳を傾ける。

僕も仇やおろそかな事は言えない。
語りかける一言一言を注意深く選ぶようになる。




僕の学級の生徒たちには1つの傾向がある。
それは、併願校に、ある大学を受験する子が多い事である。

世田谷区成城にあるその大学は、
世田谷区近辺に住む子がほどんとである彼ら/彼女らには通いやすいだろうし、
いわゆる「4大学」と言われるネームバリューもあるから、
併願校には手頃なのだろう、と僕は勝手に推察していた。

滑り止めの選択理由までいちいち尋ねたりはしない。

ところが、
この間保護者と話す機会があって、
意外な事がわかった。
その大学への出願動機に僕が関与している部分が大きいというのである。

その大学は、僕が現役受験の頃、受験した大学であったのだ。


話は一瞬、さかのぼる。

高校三年の三者面談のとき、
僕は担任に向かって、
大学では芸術学を学びたいこと、
第一志望は確定していてそれ以外は受験しない事を告げた。

担任はうつろな眼をして「そうか」と言ったきり僕の発言を無視し、
ランキング表をぱらぱらとめくって、
「芸術学を勉強したければ、和光大学とS大学があるな。
和光を滑り止めにして、Sをチャレンジにしたまえ」
と言い放ったのだった。

同席した母親もその意見に同意し、
浪人するにしてもどこも受からないで浪人生活を始めるよりは、
1つでも合格を抱えた方が心理的にも良いはずだ、と
僕を説得し、
その大学を受験する事になった。

果たして結果はその通りになった。

合格を知ったとき、
僕は18歳の幼い頭脳で真剣に思った。

「僕は勉強を何1つ知らない。英語の構造だってまるで理解していないし、歴史だってわからない。こんな状態で大学生になっていいのだろうか」と。

当時の僕は、thatが接続詞であるということすら知らなかったし、
絶対王政がいつの時代かも把握できていなかったのだ。

もっと知りたい。勉強をわかってから大学に行きたい。
恥ずかしながらこんなことを真剣に考えた。


こうして、
めだたく予備校生となったのである。




この話を子供たちの前でした事があったのだ。

僕としては、
「勉強することは喜びの経験でもあるんだよ。」ということを言いたくてこの話をしたのだが、
子供たちには事実的側面が印象に残ったらしい。


彼ら/彼女らが出願を前に家族会議を開いたとき、
僕の話を持ち出して、
「だから俺もそこを受ける」
と言っているとかなんとか。
中には
「だから俺も受かってもそこには行かない」
と言っている子も居るとか居ないとか。


自分の発言の影響力の意外な大きさに、
少しばかりうれしくなるとともに、
自分が子供の人生選択に少なからず寄与しているという責任の重さを感じたのだった。

こうなっては、
なんとしてもその大学は合格させてやらないと。

そんなこんなの一月入試直前期でした。

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2007年1月15日 (月)

A&S

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A&S

1970年創業。
福島県郡山市大町にある福島県唯一のジャズ喫茶。

僕が高校時代毎日のように通った、
いわば青春の玉手箱。

この店で僕はジャズに出会い、
ジャズとそれに連動して文学にのめり込んでいった。

店のマスターからジャズの体系がわかりそうな本を選んでもらい、
歴史書から名盤ガイドみたいなものまで調べて、
東京に来る度にレコードと本を買いあさる、
そんな高校時代だった。
そしてこの店はそんな青春時代の大いなる象徴だった。

東京に出てきてからも、
帰省の度に顔を出し、
近況報告と昔話にマスターと花を咲かせていた。
帰省したときに店に顔を出すと、
同時期に帰省したかつての同級生がやっぱり顔を出していて、
またこの時期になると会うね、なんて二言三言言葉をかわす。

いつの日か、
マスター、僕もとうとう人生が決まりそうです、
と言える日が来るのだろうなんてことをぼんやりと夢想していた。

僕が十代を過ごした日々がどれだけ遠ざかろうと、
この店だけは、時間の経過を拒否するかのように、
いつもいつも僕が行っていた時のままの姿で僕を迎えてくれた。

あの頃とまったく変わらない店内。
カウンター、僕がいつも座っていたテーブル、
タバコのヤニがこびれついた壁、
僕の10代と全く変わらない。

この店を訪れる事が、
僕にとっては見失いかけた自分のオリジンを確認し、
そして帰京後の活力になっていた。




この店が閉店する事を知ったのは、去年の年末にこの店を訪れた時のことだった。
40年以上続いた店の歴史にピリオドを打ち、マスターはリタイアするそうだ。



いろんな想いが僕の中を駆け巡った。


偶然の符号なのだが、僕は今年30才になる。
青春の恥ずかしきも切ない思い出が、
20代の終焉と時を同じくして文字通り記憶の1つとなってしまうのだ。

それは1つにはショックであり、
1つには僕の未来であった。

自分のオリジナリティに遡行する場所が永遠に失われていくことの寂しさ、
そして時間は無情にも流れ行くという現実を真っ正面から受け取り未来へ開拓する気概。

ものすごくたくさんの事柄を考えさせる年末年始だった。

高校を卒業し、東京に移住する際に、店で撮影した僕の写真を、
記念にと店の壁に残して来た。


もうさいごだから、とそれをもらってきた。

この文章を書いている僕の横にそれはある。

ヤニで黄色く変色した印画紙の向こうには、
当時の屈折した僕の姿が映っている。

それは音楽や文学や女の子ありさえすればもう何もいらない!
と卒業文集で言い切った僕の姿だ。

そんな事にかぶれていた僕は、

行きたかった大学の複数の学部に合格したとき、

美学美術史学専攻がある文学部に進学することを決めたのだった。

巡り巡ってロースクールに行く事になったが、
悔いはなにもない。

自分で決めた方向性、
これは僕自身の力で全うさせなければならない。

これまで、そしてこれからのことを考えさせてくれた、
それが「エーエス(と僕は呼んでいた)」の閉店が僕に与えた影響である。






6月11日が最終営業日だそうです。
郡山に行く機会がおありの方々はどうぞお立ち寄りください。

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2006年12月16日 (土)

絶望・死への想い

これはきっと僕が一生背負い続けなければならないのだろう、
とその当時におもっていた問題が、
それから10年の歳月を経てもなお、
なんら変わらず「一生の問題」であり続けている、という認識は少なからず僕を絶望的にさせる。

あれから10年間、それはともすると記憶の美しいカプセルを身にまとって、過去の懐かしい記憶ととして保存されているとおもっていた。

しかし、それは違っていた。

僕は青春の問題を一生抱えて生きていくのだ。

キエルケゴールは人生は絶望を生き抜く事だと言っているけれども、
そのような人生は結局のところ文学的気質を持つ人間=何らかの精神的瑕疵を抱えている人間にかぎってのことだおもっていた。

僕はそういうタイプじゃない。
平凡な幸せを平凡にぬくぬくと暖めながら生きていく平凡な人間なのだ。
そう思っていた。

ところがどうだ。
どうやら僕はそのような気質を持ち合わせているようだ。

文学的資質をもち芸術的才能に恵まれない人間なんて最悪だ。
表現という自己治癒手段を持たずにただ絶望と向き合わなければならないのだ。

僕は絶望を抱えながら生きていかなければならないのだ。

死への思いがかすかに、しかし突然に僕を包み込む。

どうにもならない。
もうどうにもならない。

助けてくれ。

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2006年12月13日 (水)

絶望的に努力せよ。

好きな言葉、というか僕の好きな英単語があります。
それはdesperately.

もちろんdesperateという形容詞の副詞形ですが、
desperateって「絶望的な」って意味ですよね。
これが副詞になると「必死に」という意味になります。

例えば、
I had tried desperately in practice, but the coach never seemed  to notice.
(僕は必死に練習した。でもコーチは見向きもしなかった)
なんて感じに使います。
翻訳文は「必死に」となりますが、
僕はどうしても「絶望的に努力する」と頭に浮かんでしまう。

その方が雰囲気がすごくよく伝わるとおもいません?

最悪の状況に呆然と立ち尽くしながらなりふり構わず努力する姿が今にも見えてきそうな気がします。

個人的な事ですが、僕は夏休みから秋にかけてものすごく思い込まれて、絶望の縁をさまよいながら闇雲に努力するという経験を持ちました。

まさにdesperatelyです。

というわけで、今年の生徒諸君への年賀状には、
「絶望的に努力せよ」と書くことにしました。

ちなみに、例文はBob Greene 'Cheeseburgers'というエッセイ集からの引用です。
個人的に大好きなエッセイです。

と、これを読んでくれる人は果たしているのだろうか、
と根本的な疑問を持ちつつキーボードを叩いてみました。

でもいいんです。
文章を書くのは実は僕の趣味なんです。

おしまい。

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2006年11月25日 (土)

fuck is fuck

今の大学入試は格差社会をもろに反映して、
カップラーメンにお湯を注ぐくらい簡単な問題しか出さない大学がある一方で、
かの女神をわが信仰に取り戻すくらい不可能な、とは言わないまでも結構突っ込んだ問題を出す大学がある、という傾向にあるようだ。

例えば慶應はおそらく教授が趣味的に選んだであろう論文を難易度を無視して出題する。
ソルジェニーツィンの論文を出したり、
バーナードショーの講演録を出したり、
これは教授の趣味だよなあ、とおもってしまうような問題を出題する。

最近は口語志向が強いとよく言われるけど、
その志向もまた、格差を反映した枠組みになっている。

例えば東海大は、
come acrossの同義語を当てさせる問題を出し、
(これは「出くわす」という意味の高校生の単語帳にはどこにも乗っている定番的な知識です。)
それに対して東大は、
’boat is boat, fuck is fuck'(ボートはボート、セックスはセックス)の意味を当てさせる。


もちろんこれは嘘である。

これは僕の個人的に好きな比喩です。
出典は村上春樹なのだが、
いかす女をヨットのクルージングに誘おうとしたリッチマンが、
女の子の「どうぜ私とやりたいんでしょ?」との一言に対して発した映画の中の台詞。
どの映画化は忘れました。


個人的にかなりヒットです。
受験的には’this is this, that is that'という慣用句は勉強します。まあ同じ意味ですが、センスが全く違う。
こういうのが生きた英語なんだよな、という感慨がおこるのはどう考えたって間違っていて、
これは下ねたです。

もちろん当のリッチマンはしっかりとファックを首尾よく成功させる、というのがその映画の落ちらしいです。

fuck is fuck.

いい表現だなあとおもう。

僕だったらfucks are fucksと言いたいところだ。
何おか言わんやは知る人ぞ知ることなり。


ていうか、fuckは可算名詞なのか?

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2006年11月24日 (金)

アモバン

Dr.コトーを見ていたら、
末期がんの宣告をうけた若い夫婦の話がテーマだった。

愛する女性と別離しなければならない運命にさらされた男は、
どのような反応を示すのか、
という月並みな問いかけに、
もちろん月並みなドラマはセンチメンタルな情景を描いていたけど、
もちろん僕も人並みの恋愛を経験したから、
こういう事態を勝手に仮定してもしそうなったら、について夢想を広がしてきた事がある。

僕の前を通り過ぎていった女の子の中で、
そういう思考を巡らしてしまったのはたったの一人だ。

この子ががんで死んでしまうのなら、
僕だって死にたくなるだろうとか、
子供と母体のどちらかを救おうとすれば他方は死に至る、
という選択を迫られれば、
もちろん僕は彼女を選択するだろう、
などなど。

もちろん僕はこういう状況になったことはないし、
(ほんと言うと一度だけあるけど)
今のところそういう思考を仮定するほど熱烈に愛する女の子に出会ってないから、
あくまで仮定の話になってしまうけど、
僕がそういう場面に出くわしたら、
「死なないでくれ」と124568回言い続けるだろうし、
間違いなく生まれてくるであろう子供より妻をとる。

いいかえれば、僕は「理想的な恋愛」をいつも求め、
「理想的な結婚」を求める理想主義者なのだ。

マルクス主義が破綻を来したように、
理想主義が実現する事ができることなんてありゃしない。

だから、僕はいつもそんなことを夢想し続ける。

僕が本気で愛した女性は、
きっと一生本気で愛し続けるよ。

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2006年11月22日 (水)

村上春樹

最近僕の中で村上春樹がブーム再燃だ。
ブックファーストを冷やかしていたときに何となく手に取ったエッセイ集が引き金となった。
読み出したら止まらないのが村上春樹なので、
今週末トイックがあるにも関わらず、
春樹漬けである。

僕にとって村上春樹は青春の象徴みたいなもので、
村上春樹に出会う事で青春が始まり、
村上春樹から遠ざかる事で青春期から青年期に移行したようにおもう。

高校入試が終わった春休みに「ノルウェイの森」を読み始めたことが、
僕の高校生活をある意味決定づけてしまった。
受験勉強、といってもたかだか高校入試だからそれほど苦労した記憶はないのだが、
それなりのストレスを抱えてきたこともあって、
反動的に春休みを「ノルウェイの森」を皮切りに読書に費やしてしまい、
入学までに出された数学の課題に手を付けず高校生活に入ってしまう羽目になった。
おかげで、数学の授業は最初から小説を読む時間になってしまったのだ。
おかげで、それから10数年後の現在、苦労をしている。
まあそれはいいとして。

村上春樹、というかもっと広く僕の文学経験を顧みるに、
きっても切り離せない人物が一人だけいる。
僕にとって初めての「親友」となった(と僕は勝手におもっている)人物で、
初めて「本について語り合える人間」であった。
進学校に入ればこういう人間と知り合えるんだな、
と変な感慨を抱いたものだった。

なんと言うか、彼と知り合う事で、
僕にとっての文学とか音楽が、
「教養」から「実践」へと変化した。
生活スタイルに変化をきたした、という事だ。

彼は中上健次みたいな人間で、
複雑な家庭環境と複雑な内的構造を通じて、
かなりエキセントリックな青春期を実践していた。
年を追うごとに逸脱さは度合いを増していき、
僕は彼についていけなくなり、
僕は僕で僕なりの自意識もあって、
次第に彼とは口をきかなくなっていった。

あの頃の記憶は今なお生々しさを帯びていて、
具体的に語ることはできない。

とまあ村上春樹の本を本棚の奥から引っ張りだすと、
そんなことを思い出したりするのだが、
今こうして彼の本を読み返してみると、
いわば「現在的意味」を感じるところが結構ある。

懐古趣味的に読み返すのではなく、
今の僕に役立つことが結構書かれているのだが、
それはまたいつか。

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2006年11月21日 (火)

ダマスクローズ

気がつくと、彼女は僕の目をじっと覗き込んでいた。
僕の存在に何らかの意味を求めているようなまなざしだった。
彼女の中で一体どんな思考が巡っていたのか、結局のところ僕には何一つとしてわからない。
表情から読み取る、という僕の都合のいい解釈でしかわかり得ないものだ。

世界に存在するのは事実である。
事実だけが世界を作り上げ、そして僕を苦しめる。

「どうしたの?」と彼女は言った。
何か?と僕は答えた。何でもないよ。
僕は彼女のまなざしに答えられなかった。
意味をさぐる彼女のまなざしは、
決して意味を放出しないようにしようと決意していた僕を大きく揺さぶった。

どうすればよいのかわからなくなった。

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2006年11月 5日 (日)

脳2

君の結婚こそ最も早いだろうと皆が言う。
そう言われつつ僕こそが最も遅いのだろうと皆に言う。

覚醒とまどろみの合間に時折現れるひかりに僕はとまどう。

ひかり

ひかり

ひかり

身体が絞り出したうめき声が、

身体が絞り出したうめき声が、

失われたあのきらめきの記憶を少しばかりまさぐるかのように、
時折またたく

どこにもいない僕は、
どこかにいるかもしれないという絶望をいつだって抱え得ている。

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2006年10月29日 (日)

シンデレラと秋の憂鬱。

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シンデレラ(min.)。
接写しているから大きさはよくわからないかもそれないが、
親指の爪ほどの小さな花を咲かせるミニバラ。
かすかな香りを漂わせる。
この花が咲くと「ああ、咲いた」とささやき声で独り言をいう。
そのくらいささやかな、可憐な花を咲かせるバラ。
小さな鉢に小さくこんもりと旺盛に育つ。

今はやることがないので、
語学の勉強。
洋書を読み始める。
ちょうど今日用があって神保町に行ったので、
ずーーーーっと探していたペーパーバックを古本で安価で入手。
ヤフオク相場の半額!
ペーパーバックって装丁があんなに粗雑で安手なのに、
国内で買うととても高い。
だからなるだけ古本を探すのだが、洋書の古本なんてどこにも売っていない。
それがある神保町古書店街はやはり世界一だけのことはある。

本ていいですね。

そんな秋の日々。

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2006年10月27日 (金)

elle

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秋のバラはなかなか咲かない。

つぼみが開き始めてから3日目。果実のような香りを漂わせながらゆっくりと花弁を開いてゆく。

バラという花にまつわる僕たちの比喩的想像力が、この緩慢な変容をエロティックにとらえさせる。

「エル」というバラ。何色とも言いがたい微妙なグラデーションと、その香りの良さに引かれて入手した。好きなバラベスト3に入るお気に入り。

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2006年10月26日 (木)

Genuine

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マツリカのつぼみ。

マツリカはジャスミンティの原料となる、いわば「本物のジャスミン」。

まさにジャスミンの香りがする。つぼみの白さがとてもよい。

濁りがない澄み切った白色。純白とはこの事だ。

年中ぽちぽちと咲き続けて、ベランダに香りを漂わせる。

なんだか最近香りに鈍感になってきた気がする。香りというか感覚が全般的に鈍化している。

たばこのやめ時かもしれない。

とおもったのはおそらく1000回目だ。

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2006年10月16日 (月)

シリウス。

学生講師諸君に混じってある人の送別会に参加した。

その学生諸君はほぼ全員が東大生で、
しかも理系の子ばかり。
ものすごく独特の空気を醸し出していた。
それはやはり彼らが東大生なのだからだろう。

普通同僚と飲みにいくと、
授業の話(つまり仕事の話)を延々と語る人間(SくんKくん)がいたり、
女の子の話しかしない人間(Tくん=僕)がいたり、
競馬の話に花を咲かせる人間(Oさんとか)がいたり、
えせ文学論を語る人間(Mくん)がいたり、
とまあ具体的な顔を思い浮かべるとこんな感じの人間が集まってわいわいやるものだが、
彼らは少し違う。

物理の理論について花を咲かせる。

酔っても論理的思考力は落ちないようだ。
何を言っているか全くわからなかったが、
彼らが法科大学院適性試験を受けたら何点取るんだろう、
なんてことをぼけーっと考えた。

とは言ってもやはり学生は学生らしく、
倒れる子が2人出現する。
ネゲロしてトイレに運んで、
なんだか微笑ましかった。
今では僕が介抱する側なのだ。
一番楽しんでいたのは室長で、
「のどにゆびいれろー!!!気合い入れろー!!立てー!!」と
なんだかよくわからない体育会系ぶりを発揮していた。

「最後に一言お願いします」と幹事が送別されたHさんにスピーチを促すと、これが百言スピーチに。

スピーチ終了後トイレに行列ができたのにはかなりウケた。

つぶれた2人は、
1人は家が近くだったのでタクシーで送り、
1人は近くに住む子の家に泊めることにして、
その子を家まで運ぶのを僕ともう一人の子が手伝った。

一緒に運んだその子もまた東大生なのだが、
ちょっと小池撤平風のオシャレなかわいらしい感じの男の子。

女の子が放っておかなそうなイケメン。でも彼女はいないらしい。

運んだ僕らもかなり酔っていたので帰りに道に迷う。
そこで彼が一言。
「シリウスがあそこに光っているから方角は間違っていません。」
シリウスっては星のなまえ。
聞けば天文部に所属しているとか。
やっぱり東大生は恐るべし。

シリウスに助けられた僕らは無事駅へと戻る事ができ、
終電はとっくに終わっていたので、
僕はタクシーで帰り、
シリウス君は三次会に向かったのでした。

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2006年10月15日 (日)

最近のバラ。

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ドフトヴォルケ。
今はもうない。去年の写真。
春にシーズンを迎えて以来、我が家のベランダは様変わりした。

いろんなことが忙しくて、消毒をすっかりさぼって水やりだけしていたら、いろんな種類のバラが病気で次々と枯れてしまった。虫にやられてしまったものもある。

なかでも残念なのは、お気に入りの二つのバラが枯れてしまったことである。

その一つがこの「ドフトヴォルケ」。香りがよく花もゴージャスで、アプリコットがかった赤い花が咲くと、しばしベランダに出て眺めたものだ。

きちんとケアをしないとバラは枯れるって本当なのです。。

ちなみにもう一つのお気に入りは「エヴリン」。香りが一番良かった。

これもいなくなってしまいました。

さっきバラのページを検索していたら、またバラ熱が少し上がってきてしまいました。エヴリンとドフトヴォルケ、買い直そうかなぁ。

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2006年10月13日 (金)

「これくれるよ。」

あるエライ人と面談をしていたときのこと。

僕の経歴を眺めながら、
「何故先生には訛りがないのですか?」と聞かれた。
僕の出身は東北で、しかもある意味一番方言が抜けにくい地域である。
「ある意味一番抜けにくい」とは、
語彙自体の方言はそれほどない変わりにイントネーションが独特(抑揚がまったくなく語尾に向かって音が上がる)であるため、
そこの出身の人間は上京して何年たってもいつまでも訛りが抜けないということだ。
具体的に言うと、福島県中部地域。

もちろんこれは訛りを除去しようとしている人を対象とした場合の話で、
地方のアイデンティティを全面に押し出して、あえて方言を抜かない人間は除外して考える。

何故ないのか、と聞かれても「ないからないのだ」とトートロジーしか浮かばない。
「東京に憧れていたからです(ほほえみ)」と答えたら、
「いや、まじめな話で」
と興味津々のご様子である。
よくよく伺うと、福島出身で訛りのない人間とあったのは僕が初めてだそうである。
いやいや、訛りのない福島出身だっているよ、
とおもいつつも、
せっかくなので理由を考えてみる。
「耳がいいからだとおもいます」というのが僕の行き着いた答え。

残念ながら絶対音感はないものの、
楽器やっていたからおそらく普通の人よりは耳がいいはず。
イントネーションをコントロールできるから僕には訛りがないんじゃないだろうか、という理屈だ。

その方はそれで納得してくださった。

でもよくよく考えたら、それじゃ音痴の人間は方言自体すら形成されなくなってしまうということになる。
でも、もしかしたら言語修得期の方言の形成過程は音感とはまったく異なった次元において進行するのかもしれない。
そう考えたら上記「音感方言除去説」は説得力を持つかもしれない。
もちろん僕にはそんなことはわからない。

なんでかなー。

ちなみに、イントネーションが消え去っても無意識レベルに定着した方言はやはりあるもので、
自分が東京に住み始めたときに最初に受けたカルチャーショックは、
「くれる」という言葉だった。

福島の人間は、何かを人にあげるとき、
「これくれるよ」と言うのだ。
もちろん東京では
「これあげるよ」である。
「くれる」とは本来もらう側が言うべき表現だから、
他者に視点が移動してしまっている訳で、
考えてみれば不思議な表現だ。

最初にこの言葉を聞いた東京人は、
きょとんとしていた。

と、仕事と全く関係のない話ばかりをした面談だったのでした。

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2006年10月11日 (水)

涙の進路相談会

授業料の高さで有名な某なんとか塾と掛け持ちをしているリッチな子が生徒の中にいるのだが、
その子から聞いた話だと、
そこでは生徒を集めて進路相談会みたいなものを開催していて、
参加した生徒の中には涙を流す子がちらほらいると言う。
「宗教がかっていた」と
この話をしてくれた子は言っていたが、
そういうその子の表情も少し紅潮していた。

涙を流す進路相談会ってどんなだ?

宗教でも営業でも、
誰かを虜にしてしまう話術のノウハウがあれば教えてほしいものだ。

保護者会で保護者を泣かせてみたい。

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2006年10月 8日 (日)

ロココ。

レビュー。
「ボッケリーニ 弦楽五重奏曲集作品11」

図書館でたまたま見つけて聴いてみた。
(amazonにはなかったので近い作品を貼りました)
極めて軽やか。
というよりも軽薄。
浮かれた時代の浮かれた雰囲気がよく伝わる。
ここまで徹底的に軽やかなタイプの音楽は初めて聴いた。

とっさに浮かんだのが、
フラゴナールの「ぶらんこ」という絵画。
ロココ様式の有名な絵画である。
考えてみればボッケリーニはロココ絵画が流行した時代の作曲家だから、
僕の感覚はあながち間違ってはいないかもしれない。

表層的な快楽を追い求めると、
その追求の果てに独特な気怠さを感じることは無いだろうか。
僕はあったな。

そういうたぐいの気怠さをロココ絵画を見ていると感じる。
ボッケリーニも然り。

この弦楽五重奏曲ホ長調作品11の5の3楽章が、
有名な「ボッケリーニのメヌエット」。

ホ長調!
軽薄なわけだ。

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2006年10月 7日 (土)

午睡

午睡というには時間が早いが、
ぽかぽかとした秋の太陽のもとでしばしまどろむ。

幸福に包まれた夢を見た。
ところがその幸福は不幸を導くように巧妙に仕組まれている。
目が覚めると涙を流していた、というのはもちろん嘘だが、
牧歌的世界、
すべてが純化された世界への憧憬に包まれた。
あいまいな秋の晴天が、
覚醒しきれていない僕のあいまいな意識にとけ込み、
すとん、と軽い音をたてて落ちた。

次のステップに歩みを進めようと、
机上の整理をした。
山積みされた本を本棚に戻し、
雑多に広がったさまざまな書類を処分した。
もはや不要となった24冊の本はこれまでの努力の証だ。



少しの間は、
小説や音楽や哲学や、
一つの時代の終焉とともに置去りにしてしまったものたちと戯れようと思う。

残り少ない秋なのだから。

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2006年9月28日 (木)

娼婦。

本と娼婦は、ベッドに持ち込むことができる。

ベンヤミン


軽やかに読書しないと。

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2006年9月22日 (金)

ナショナリズム。

ちょっと前に書いた文章をブログに載せそびれていたので今日載せます。

日本がWBCで優勝した時に思ったこと。


WBCで日本が優勝すると僕もそうかそうかとうれしくなるが、
その日のニュースジャパンで『野暮な話ですが、愛国心を高めるためにどう立法するかが今問題となっていますが、イチローに講演をやってもらえばいいんじゃないでしょうか』と解説員が言うのをきくと、興ざめもいいところだ。

本当に野暮な話である。

国を愛するかどうかなんて個人的な問題だと思うし、
それを国家が制度的に強制しようなんてまったくもって愚かな話だ。
だいたいにおいて国家自体制度的に成立しているものなのだから、
その制度を制度によって愛させようなんて、
イデオロギーの強制に他ならない。
ある概念、理念、理想を制度的に強いようとすれば、
それは思想・良心の自由を侵害している。

愛国心がナショナリズムに結びつき、
ナショナリズムが排他的な思想を呼び起こし、
異質なものを暴力によって排除しようとする事態を招く。
これは歴史が証明している事実ではないかと思う。

日本がんばれーと幼稚に応援するくらいで十分なのだ。

でもまあ、信念の根拠がどこにあるにせよ、
イチローのあのひたむきな執念には感動するのは確かだ。
絶対に負けない!という姿勢にはいつもいつもあこがれを抱く。

一番になれ。
二番以下はすべて敗者だ。
                                        JFKの父親の教え

僕の座右の銘。

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2006年9月12日 (火)

友情。

だいぶ前のこと。

とっても仲が良い二人の中学生がいました。
彼らは親友同士でした。

卒業が近づいたある日、
二人は「絶交」状態になってしまいます。

原因はやっと乗り越えることができたばかりの高校入試。

第一志望は駄目だったものの、滑り止めでは決してない高校に合格することができたAくんに、
Bくんが「おまえ、あんな学校に行くのかよ」と軽い気持ちで言ってしまったのです。

成績はBくんが上で、Bくんは無事志望校である難関校に合格することができていました。

いろいろと思うところがあったのでしょう、
AくんはBの何気ない一言に深く傷つき、
「あいつとはもう絶好だ!」と言い切ってしまったのでした。

それまでとても仲良しだっただけに、
二人とも指導してしていた僕はなんとかしないと!
と頭を悩ませたものです。

そこで、
ABとそれぞれ話し、「青春期の友人は一生の友人になるんだ!こんなことで一生モノの大切な友人をなくしてならないよ!」と諭して、
BくんはAくんに謝り、Aくんはそれ を許し、
二人は握手して和解したのでした。

その後二人の友情は高校に入ってからも続き、
互いの家を尋ね合い、将来の夢を語りあったそうです。



昔は僕もキンパチ先生みたいなことをしていたんです。




さて、
また同様のケースの問題がまた起きてしまった。

しかも今度は女の子同士。

男は単純だから、わりとこういうケースは解決できるのですが、
女の子は複雑だからなぁ。

何かいいアイディアありませんかねぇ。

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2006年8月22日 (火)

英文法講義の実況中継

ある日の授業。

「英文法の基本中の基本、文の要素の勉強です。

英語の文を分析してみると、
S(subject)主語
V(verb)動詞(述語動詞)
O(object)目的語
C(complement)補語
M(modifier)修飾語
という5つの要素で成り立っていることがわかります。

この5つの要素を理解するためには、
「関係で理解する」ことが大切です。

つまり、
SとOは「する ー される」の関係、
「目的語」とは簡単にいうと「される人」になるわけですね。
(たとえば I love you.)

次に、
SとC、OとCの関係。
これは「CがSとOを説明する」関係、
「説明=補う」から「補語」という名前がついていると言えますね。
(He is happy. They call me Sam.)

そして最後に、SとMの関係。
これは「責める ー 責められる」の関係です。

・・・

今のは冗談です。」




と平均偏差値70の中学3年生たちに言ったら、
生徒の半分は意味がわからず、
半分はひいていました。

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2006年8月14日 (月)

never, never, give up!!!

休日はあっという間にすぎる。
深呼吸をひとつする間に一日がおわるようだ。

机の上に文献をどんと積み上げて、
夏中に読破する!と意気込んでいるが、
これがなかなか。。。

でもやるのです。

また明日も部屋にこもって
きっと読破してみせます。

never, never give up!

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2006年8月11日 (金)

ふぅ。

やっとなつやすみ。
日程が重なってしまい休みがなかった。

ここまで駆け抜けてきた(はずだ)。

2006年の記憶は何も無い。
正月に帰省して以来、
東京都を一歩も出ていないことに気づいた。
東京都を一歩も出ていないというより、
自分の通勤圏から一歩も出ていない。

吉祥寺、池袋、渋谷その程度。

2006年の改善点は、
禁酒。
正確には節酒。
7日に一回以上は飲まないと決めてここまで過ごした。
別になにもかわらない。
でもとりあえずは続ける。



さて、また駆け抜ける

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2006年6月 4日 (日)

感動。

「街角のイギリス英語」大村善勇

というエッセイを読んでたら、
非常に印象的なフレーズがあった。

作者がある村に旅に出たときのこと、
教会と墓地を散策したときに、
ある墓碑に出会ったそうだ。

その墓碑には次のように書かれていた。

DANIEL JAMES BRAZIER
born April 9th 1971
died April 10th 1982

THANKS DAN FOR ELEVEN YEARS OF SUNSHINE AND LAUGHTER

日本語で訳すことは野暮だとおもうので、原文のみ。

何度も読み返した。涙が出た。

たった1文で悲しみ、思いで、追憶、それらをすべて伝えることができる文章がはたしてあるだろうか。
そんな疑問の答えに触れたような気がした。
何度も繰り返し読んだ。

昨年、祖父が亡くなったことを思い出した。
うちの家系は実はみんな早死なので、これまで葬式は何度も経験した。
そしてそれまで僕は一度も涙を流したことがなかった。

誰かが死ぬということが涙を果たして伴うものなのだろうか、とさえ思ったものだ。

それでもなお、去年祖父が亡くなったと知らされたとき、僕は初めて涙を流した。

僕にとって祖父は目標であっし、心の底から尊敬していたからだ。
祖父がいなかったら僕は今頃もっと楽な生き方を選択していたかもしれない。
言い換えれば、祖父がいなければ僕は何かを目指そうと思わなかったし、それをあきらめてしまうこともあったとも思われるのだ。
そのくらい自分の人生に影響を与えた人物だったからこそ、僕は尊敬の念をもっていた。

そして、祖父が亡くなった時、僕は自分が祖父の遺志を受け継ぐべき状況にはほど遠い現在の自分を深く恥じ、
それから僕の生活のいろんなことがかわった。

そんなことを思い出した。


最後にもう一度。

THANKS DAN FOR ELEVEN YEARS OF SUNSHINE AND LAUGHTER

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2006年5月29日 (月)

'Therese'

Beethovven,L. V
Piano Sonata N.24 Fis fur op.78
'Therese'
ベートーヴェン、ピアノソナタ24番。

これまでたくさんの音楽を聴いてきた。
およそ音楽と名のつくものならたいていは聴くが、
趣味の中心はジャズとロックだ。
ジャズの場合ならハードバップは好みではないとか、
ロックなら70年代までしか聴かないなどちょっとしたこだわりは持っているのだが、じゃあ君が一番好きな曲は何かと尋ねられたら、と絶対にありそうも無い質問を仮定してみる。

その答えが上記ピアノソナタだ。

何年楽器を弾いてこようと、ブランクがどれだけあろうと、どれだけたくさんの曲に触れてこようとも、ピアノソナタ24番は僕のなかでずっと「一番好きな曲」であったし、これからもそれはかわらないと思う。

ベートーヴェンのピアノソナタにはもっと有名なものがたくさんあるし、音楽学的な評価の高い前衛的な作品もいくつかある。そんななかで24番はきわめてささやかな作品だ。楽章も2つしかないし、演奏時間もこじんまりとまとまっている。

けれども、というかだからこそというか、この24番は全てのメロディが宝石箱のように輝いている。イントロが響いた時点で涙が出てくるし、第一主題も第二主題も展開部もみんな好きだ。言葉は音符ではないから、メロディそれ自体を言い表すことはできないが、特にイントロの低音を聴くとなにか身体の随にしみ込むような充実した幸福感に包み込まれる。それはちょうどアブサンを飲んだときの酔いに似ている。

なぜここまでこの曲が好きか、とまたありそうもない質問を仮定してみる。
答えは単純かつ複雑だ。

この曲は僕が初めて主体的に『音楽作品』として触れた曲だったからだ。
たぶん小学校の4年生位だったと思う。
小学校の2年生くらいから4年生くらいにかけて、僕は伝記をずっと読んでていた。入り口は親が教育的に買ってきた偕成社の伝記集で、多分20冊くらいだったと思う。それを皮切りに子供用の伝記を片っ端から読むようになっていた。
そんななかで出会った本の一冊がベートーヴェンの伝記だった。
それはどこかの音楽系の出版会社が出した、作曲家の伝記集のなかの一冊だったと思う。
例えばハイドンの伝記を読みながら、『驚愕』シンフォニーを聴いてみる、なんていう教育テレビがやりそうなことを実践していた。

そんななかで出会ったのがこの曲だったのだ。

うるおぼえなので確かな記述ではない。
「ベートーヴェンはある貴族の娘にピアノを教え、恋に落ちてしまいました。けれども身分も違う二人の恋は実らず、二人は別れを迎えます。最後の手紙にベートーヴェンは小さなピアノソナタを添えました。その娘の名前にちなんで、その曲は「テレーゼ」と呼ばれるようになりました。」

いかにもロマン主義的バイアスを経たあとの記述だが、
この話を読んで、お小遣いをもってレンタルショップに行き、24番のCDを借りてきた。それが出会いだった。

恋愛の物語をもつ曲なんてこの世にあまたとある。
その後も本をよんで曲を聴くなんてことはたくさんやってきた。
それでもなおこの24番が僕にとって最上位にいるのは、
まあこの曲のすばらしさなのだろう、としか言いようがない。

というわけで、この曲は『大事な気分』の時にしか聴かない、宝物のような曲だ。

それから今日まで、いろんな演奏者のCDを手に入れてきた。
リヒテルやグールドやバックハウスやもろもろ。
僕のお気に入りはポリーニの盤と最初に借りてきたレンタルのCDだ。
特にレンタルの盤は奏者がだれだか未だにわからない。
それが知りたくてこれまでいろんなCDを買ってきたと言ってもよい。
そのショップのピアノCDはケンプが多かったからケンプかもしれないと思ったそれも違った。

まあよい。

そのときのダビングしたテープはもうぼろぼろだけど、
今も僕の手元にきちんと保管されている。




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2006年5月24日 (水)

夜来香

Dscn0345

イエライシャンという花。

「夜来香」と書く。

名前の通り、夜になると強い香りを放つ。逆に昼間は全く香りが無い。

植物にとっては、夜行性の虫たちを集めるために夜に香りを放っているというきわめて合理的なシステムにのっとってのことだろうが、人間にとっては、夜になると香りを放つなんてどこかしら神秘的でエロティックに感じる。

表現しづらいのだが、どちらかというとスズランに似た、甘さの無い冷涼な香りがする。「幽玄な香り」と評していた本もあった。

熱帯の植物なので外で冬越しができず、部屋のなかに入れておいたらものすごくツルがのびてしまい、外に出せなくなった。

だから、深夜の僕の部屋は夜来香の香りでいっぱいだ。

上に引用した本によると、日本では気候が違うため数年に一回程度しか咲かないと書いてあったが、2年目にして咲いてしまった。

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2006年5月22日 (月)

mimi eden

Dscn0346

ミミエデン(min)。

見た目の美しさに惹かれて入手した薔薇。

確かに醜を排除した憧憬的な美しさがある。

花持ちもよくて、撮影日で一週間が経過している。

でも香りが全くない。

咲いても、ああ咲いたな、くらいにしか思わない。

やはり香りは(僕にとっては)重要な要素で、視覚だけでは存在感が足りたい気がするのだ。匂いがあってこそ、僕に触れるように訴えかけてくるものだと改めて思う。

でもまあ、こうやって写真に撮るとやはりかわいらしい花だ。

花首のところにパウダーがかかっているように見えるのは、
「うどんこ病」というカビの一種。
ミミエデンは罹病しやすいと書いてあったが、はたしてその通りだ。
抗生物質をもっているが、まだ使っていない。
ミミエデンとネージュパルファムがものすごい勢いで罹病している。

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2006年5月20日 (土)

異邦人。

藤田嗣治
最近お気に入りの画家。
エコール・ド・パリの時代(1920年代)にパリで活躍した画家。

なんと言っても裸婦像が非常に美しい。

評論家風に言うと、西洋の絵画に日本画で用いられる面相筆という筆を使って、
描線を繊細に描いている、そうだ。

何分も見入ってしまうような気品がある。
女性の肌の柔らかさ、滑らかさが少々抽象化されて見ているものに迫ってくる。

ため息が出る。

藤田嗣治自身は生前リアルタイムにパリで評価を受けることができたが、
そのせいなのかどうか、日本ではまったくといってよいほど認められず、
むしろ国辱とまでいわれていたそうだ。
彼は悲痛な心情を抱えたまま異邦人としてパリで生涯を閉じた。

そんな生き方もあってか、今も根強いファンが多い。

藤田嗣治「異邦人」の生涯
近藤 史人 (著)

に詳しく載ってます。

これまでもそう思ってきたし、今も強く思うけど、
女性の身体は、それ自体美だ。

いつまでも愛で慈しむものだと僕は信じている。

いいな、と思う絵画はいつだってヌードだ。

こういう考え方はきわめて男性的なんだろう。
だから僕は男女平等主義者ではないのかもしれない。
女性を深く崇拝している。
いずれにせよ、男性と女性を同じレベルでは考えてはいないということは確かだ。
どちらが上か、なんてことは僕にはわからない。
わからない、というよりも、そういう問題じゃないと思う。

まあ、崇拝しているからこそ、女性関係がいつも長続きしないということは確かである。




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2006年5月18日 (木)

斑。

スターザンストライプス。

Dscn0342








去年は日当りのよいところに置けなくて、
元気無くひょろひょろとしていたが、
今年はよいところにおいているから、しっかり咲いてくれた。

まだら模様のおいしそうな花。

残念ながら香りは無い。

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2006年5月17日 (水)

薔薇の始まり

Dscn0338

ラ・フランス。
甘いバラの香り。
今年もバラの季節がきた。
春が寒かったせいか、小さめの花が多い気がする。

ベランダに通じる窓を開けると香りが部屋に漂ってくる。

ただ、去年よりも香りが薄い気がしないでもない。

気候のせいか、それとも肥料をあげすぎたか?

そんなこんなで、一ヶ月くらいは、まずは最初の花の季節だ。

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2006年5月 3日 (水)

無題。

裸婦を描く画家のような法律家になりたい。

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2006年4月19日 (水)

二足の草蛙

なんだか、頭がとけそうだ。

一日中何かしらの勉強をしている。

法律と英語。

何事もプロは気を抜けないということだ。

英語のプロであり、
法律のプロを目指す。

頭が休まる暇がなし。

まあこの瞬間がそうかもしれない。

二足のわらじはとっても重厚なわらじだ。
熱帯雨林の中を走破できるほどのものなのだろう。

さて!
あしたも!!!!

ピザ食べたい。
のみかいしたい。

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2006年4月18日 (火)

経験的事実。

美女は常に多数派である。

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2006年4月14日 (金)

無題。

終わらない!終わらない!

やるしかない!やるしかない!



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2006年4月11日 (火)

memories

No one should spend too much time on memories. Some people start doing that when they're twenty and never get over living in the past. The most interesting people I know don't spend much time remembering the past.

Even when I'm really carried away by my memory and become engrossed in reenacting, in my mind, some pleasurable event from the past, I am almost always brought up by the desperately unhappy thought that the moment is gone forever and no amount of wanting will bring it back. That's more than I can take.

高校二年生用のテキストにあった和訳問題文。
そうかもしれない。
ちょっと共感してしまった。

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2006年4月10日 (月)

刺激

刺激。
今の僕に足りないもの。
個人プレーばかりだから、外から入ってくる情報が極端に少ない。
一人で過ごしていると気持ちも内向的になって、効率も下がることもしばしばだ。
そんなときに外部からの情報を仕入れると発奮することができる。

世の中には優秀な人間が山ほどいるらしい。
慶応法学部から医学部にいって音楽家になった人がいるらしい。
文学部から国立の医学部にいった人もいる。
商学部を次席で卒業して奨学金で留学した人もいる。
東大から音大に行き直して音楽家になった人もいる。

学歴ばかりをあげたのは、それがわかりやすいからなのだが、
僕が聴いたところだけでもこれだけの経歴を持つ人がいる。

停滞しちゃいけない!
と改めて思いました。

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2006年4月 9日 (日)

バンド

最近の高校生たちを眺めていると、ひとつ眼につくことがある。
バンドを組んでいることが結構いるということだ。
1人や2人ではない。
結構な数の子たちがパンクだのメタルだのJPOPだの思い思いの系統のバンドを組んでいるみたいだ。

これは最近の傾向で、数年前、僕が学生だった頃にはみられなかったことだ。
NANAの影響だろうか、と短絡的に思ってみたりする。

この間図書館でリサイクル本をあさっていたら、1999年に書かれた対談が掲載されている本を見つけて、ぱらぱらと読んでいたら、
99年当時に女の子の間でかっこいいのは「ボーダーとダンサー」でかっこわるいのは「オタクとバンド」であるという宮台真司の発言があった。

7年後の2006年に、バンドがまたかっこいいものとして認知されているようになってきたのかもしれない。

音楽が好きな子たちを目の前にすると、僕も俄然盛り上がる。
音楽トークが炸裂で、いつまでも語っていたくなる。

ちょっとマニアックな曲を授業の例文にしても、たまに知っている子がいることもある。

この間、toに「ーにあわせて」という意味があるということを教える例文にSly and the Family Stoneの’Dance to the music'の歌詞をあげたら(というか歌ったら)、
「あ!それ知ってる!」とドレッドヘアの子が叫んだ。

やっぱ音楽っていいっすよね。

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2006年4月 8日 (土)

肉食生活

人間が牛肉をたべるようになった時代と産業革命以降の科学技術の発達が一致するという疫学的データがある、という話をきいて、それなら僕も頭がよくなるように牛肉をたくさん食べようと思い早速たくさん食べたら、おなかをこわした。

ここ数年間、どうも牛肉が苦手になって食べていない。
獣肉自体が嫌いという訳では決して無いが、牛肉独特のにおいがなぜだかこのところ苦手になってしまっていた。
独特のにおいとは、単純に言うとビーフジャーキーのにおいである。
あのにおいを嗅ぐと胃がムカムカしてくる、と自分では思っていた。
それでもずいぶんと久しぶりにあのにおいに接すると、ああやっぱりいいかもと思い出してきたりもした。すきなんだか嫌いなんだかよくわからん。

食べ物のにおいと言えば、最近、ずいぶんと味覚が鈍くなってきたような気がする。
味が濃いものが前よりも好きになってきて、ぼんやりとした、というかいわゆる仄かな旨味を味わえなくなってきた。
これは老化現象というよりは単純にたばこのせいだ。
たばこの量がグンと増えると、それに比例して味覚が麻痺してくる。
考えてみれば、一日3回接しなければならない食べ物に対する感覚が鈍化しているなんて、僕はずいぶんと損をしている。
そんなことを今日考えながら、タバコを買いました。

全く持って、僕は不摂生きわまりない。早起き以外は不摂生の極みだ。
酒、たばこ、コーヒー、辛いもの、その他ちょっとヤバいものみーんな大好きだ。
刺激と快楽に弱いんだな。
不思議と成人病系の危険信号はまだ無いのだが、
ちょっと、いやかなり不安だ。

ここで思い切ってたばこやめよう!
十数年の喫煙生活に終止符を打とう!

来週から。。

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2006年4月 7日 (金)

ヒヤシンス

今年は春がなかなかやってこないと思うのは気のせいだろうか。
桜が咲く時期はこんなに寒かったのだろうかと思う。

今日は久しぶりに花の話題。

寒暖の差が激しい日がこうも続くと、
どうも植物も大変らしく、
せっかく吹き出た芽が枯れてしまったり、
少し成長した芽がとれてしまったりする。
2株、芽が枯れて、どうやら株自体も枯れてしまったかもしれないものもある。

さっき、服のホコリを払おうとしてベランダでぱんぱんとたたいたら、
バラにあたり新芽がとれてしまった。。。
これは人為的なものだ。

そんななか、一足早く花を咲かせてくれたのが、ヒヤシンスとチューリップ。
Dscn0322

歌川広重の「亀戸梅屋舗」をモチーフにしたつもりだが、
あくまでつもりである。

ヒヤシンスを植えてみたのは、もちろん香りがよいと聴いていたからである。
甘さがない、シンプルでちょっとスパイシーな香りを割とはっきりと放っている。
ベランダに出ると、ほのかに香りが漂っている、そんな感じだ。

これがバラだと、窓を開けただけで部屋の仲間でバラの香りがするのだから、バラがいかに強烈な香りを放つかを実感する。

今年はバラ以外もたくさん植えてある。
すべて香りがするものだ。

暖かくならないだろうか。

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2006年4月 6日 (木)

天災

古典落語に、「天災」という噺がある。
けんかっ早い与太者が町の学者に
「誰かに水をかけられても、天から雨が落ちてきたものと同じと思いなさい。そうすれば腹も立たないだろう。」
と諭されるという噺だ。

今日は、電車事故が発生したために、ちょうど帰ろうとしていたときに電車が不通になってしまった。この時間になってもまだ復旧はできていないらしい。電車が車を轢いてしまったそうだ。車には女性が乗っていたらしいから、まだまだ復旧は先なのだろう。

僕は井の頭線にのり、途中で下車しバスに乗って地元の一駅となりの駅で降りてあるいて帰ることができた。
となりの駅から歩くはめになったのは、乗ろうと思っていたバスの路線が亡くなってしまっていて、隣駅の入り口までしかバスが届かなくなってしまったからだ。

まあそういうわけで時間はかかったが、なんとか家に着くことができた。
『天災』の境地にはほど遠く、腹を立てた。
例えば一駅分を乗り過ごしたり、電車に間に合わなくて乗れなかったことがあっても、
それはすべて自分が招いたことだとすれば、これは仕方ないと思える。

でも、やはりそれが自分に帰責されない事由によって引き起こされたとおもうと、無性に腹が立った。
天災の境地はほど遠い。

ただ、一つ感慨に耽ることがあった。
今日乗ろうとおもっていたバス路線が亡くなってしまったということについてである。
その路線は、かつてガールフレンドが住んでいた町と僕が住んでいた町を結ぶ路線だったのだ。

月日の流れを感じた。

今日は「うめぼし」を聴きながらねよう。

 

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2006年3月31日 (金)

喘息

とりあえず二週間連続の勤務が終了した。
だからといってなんてこともないが、
という僕の思いとは裏腹に、身体は受けてつけてくれなかった。

二年前、突然ぜんそくになってしまった。
小さい頃、小児ぜんそくを煩っていたのだが、
その完治して大人になったのに、
最近突然だ。
おそらく原因は僕の家の環境だろう。
大きな通り沿いにあるマンションで、
窓を開けると粉塵が入ってくる。

引っ越してきてすぐにそうなったのだから、
蓋然性は高い。

ともかく、二年前に再発してから、
一年に一回くらいぜんそくに悩まされる時期が来る。
そして今回がそのときだった。

なんとかなんないかな、と思いながら息苦しさにいらついていたのだが、
今日で仕事の一段落がついて家に帰ってきたら、
フジギなほど苦しみが和らいでいた。

ぜんそくもまた、精神的な要素に左右されるのだろう。

僕にとっては、仕事が忙しいということは、それ自体がストレスになってしまうのだ。
そのぶんだけ勉強量が減る訳だから。

毎日ビタミン剤を飲んでいたのに、口の周りに吹き出物を発見した。
これっていわゆるストレスニキビだ。

さ、一日あいて、後四日!

やはく終わってくれー。

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2006年3月28日 (火)

武蔵野

この春から吉祥寺で勤務が始まっている。
大分疲れがたまってきたが、あと一日。
栄養ドリンクを飲んで乗り越える。

吉祥寺という場所はなんだか不思議な町で、
それとなく郷愁を誘うところがある。

昔よく行ったという訳でもないし、
何か思い出が込められている懐かしき青春を忍ばされる場所という訳ではなおさらない。

それなのに、なぜだか懐かしい。

町を歩いていると、どことなく青春のうずきを感じる。

中央線沿線は、どことなくそういう雰囲気を醸し出す共通点を持っているのかもしれない。

学生時代というよりは自分が浪人していた頃の郷愁が僕の中で沸き立つ。
大学ではなく、ある種高校の延長のような、
まさに青春のうずきを感じる町。

どこかに忍ばれる、武蔵野の原風景がそのように思わせるのか、
サバービアの町並みが僕に田舎の郷愁を起こさせるのか、
よくわからない。

ともかくも、吉祥寺の町を歩いていると、
紅葉散策に行った、二十歳の日々を漠然と思い出さずにはいられないのだ。

そのとき僕のとなりにいた女の子とともに。

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